昨日の治療論では治療者の「上から目線」の話をし、サリバンの言葉で終わったが、実は一つずっと気になっていることがある。それは故・土居健郎先生にかつてもらった手紙についてである。私が岩崎学術出版社から出した「脳科学と心の臨床」という本が土居先生に献呈本として送られ、それに対して先生からいただいたものだ。12月8日付けになっているが、「脳科学と心の臨床」の出版は2006年だったので、その年の12月の手紙ということになる。どこかに書いたが、聖路加国際病院で、私は数年間土居先生のオフィスをシェアさせていただいた。つまり先生のいらっしゃらない曜日に使わせていただいたわけである。だから土居先生は短いメッセージを水曜日の私の勤務日の前日に、よく机の上に置いておいてくださった。問題の手紙は以下の内容だった。
「脳科学と心の臨床」を通読しました。これまでの本にも多少その傾向があったのかもしれませんが、本書には特にcondescending であるのが目立ちます。これは「患者さん」の連発に現れます。私はこの呼称が嫌いで、患者には必ず姓を「さん」づけて呼びます。もっとも以上は主観的なことですが、客観的に見て、心理臨床家の先生方が、これだけの脳科学の知識がないと臨床の質が落ちるとは思いませんが・・・・・。しかしともかく貴君の勉強ぶりにはいつもながら感心します。
12月8日 土居健郎 岡野憲一郎様
慢ではないが、私は土居先生にこのような形でも、あるいは学会などでもお褒めにあずかったことはないので、全体のトーンがポジティブでないことは問題にはしていない。それよりもよく私のようなものに律儀にお手紙を下さったものだと思う。
「この本はあまり臨床家には必要がないのでは?」という辛口のコメントにも「先生、ちゃんと読んでくださいよ。」などと心の中でツッコミ(畏れ多いことながら)を入れているから大丈夫である。しかしこの手紙で気になるのは、土居先生が私の「患者さん」という書き方をcondescending (見下し、上から目線)と表現していることである。どうして患者さんと呼ぶことが上から目線なの?
ただし辞書を改めて引くとcondescending には、「わざと腰を低くした」という意味もあると知って少し納得がいった。聖路加の別の先生にも確かめたことだが、土居先生は患者さん、という呼び方を嫌っていらした。シンプルに「患者」と呼べということらしい。これまでたいていの本で「患者さん」とやっていた私などは、いつも土居先生をいらいらさせていたに違いない。(続く。)