2011年2月15日火曜日

うつ病再考 その(9) 新型うつ病の本質に迫る(続)

相変わらず「こころの科学 2007年9月号 職場復帰 うつかなまけか」を読んでいる。編集者(松崎一葉氏)が編集の趣旨をはっきり書いている箇所を発見。ちょっと長いけれど引用。

「本当にうつ病なんですか? なまけなんじゃないんですか?」こうした人事担当者の問いに窮する企業のメンタルヘルス関係者が増えてきた。近年、企業内で増えているのは、従来のような過重労働のはてにうつになる労働者たちではなく、パーソナリティの未熟などに起因する「復帰したがらないうつ」である。従来のうつの場合は、治療早期にもかかわらず、早く復帰することを焦るケースが多かった。ところが近年では寛快状態となり職場復帰プログラムを開始しようとしても「まだまだ無理です」と復帰を出来るだけ回避しようとするタイプが増えてきている。人事担当者には、外見上の元気な姿や友人と楽しく語るさまを見れば、「なまけている」としか映らない。会社を長休職していることに「申し訳ない」という気持ちは少ない。主治医の診断書は「うつ状態にてさらに一ヶ月の休養を要す」と毎月更新される。「いったいいつまで休むつもりなのか?」と人事担当者や上司は苛立つ。時には、このような状況が就業規則で定められたギリギリの休職期限まで続く。

この短い文章に、「新型うつ病」と呼ばれるものの本質が尽くされているといっていいだろう。「未熟な人格」というところから明らかなように、この「新型うつ病」にはネガティブなニュアンスが込められているのは明らかである。私はこれを読んで特に反対はしないが、素直に「フーンそうか、そういうタイプのうつが増えているのか・・・」という以外の考えがいくつか浮かぶ。それには、アメリカでの体験が大きい。
アメリカでは、「就業規則で定められたギリギリの休職期限まで休む」というのは、むしろ常識である。たとえば勤めて半年ほど経つと、月に一日のsick leave が与えられるようになる。つまり月に一日の割りで、風邪をひいて休んでも給料は出ますよ、というわけだ。これがannual leave つまり有給休暇と組み合わせて月に二日、という風に出たり、それぞれ一日ずつ別々に出ていたりする。前者の場合は、「病欠でも、バケーションでも、とにかく二日までは休みを認めましょう」ということだ。そして大体はその種の休暇は、その年度内ならためることが出来る。
たいていのアメリカ人は、月に一度くらいは、「ちょっと頭が痛い」程度で休むことでそのsick leave をコンスタントに消化している。アメリカ人は日本人と違って、貯金はあまりしないのである。そして年度の終わりに、「明日までに使い切らないと、失ってしまう」という状態で、定番の「いきなり風邪」となる。つまりその年度の最終日に、そのスタッフは朝から「風邪になったから休みます」と電話を入れるわけだ。
これをやられると同僚は困るのは確かだ。よく同僚の医者がこれをやると、その日のアポの患者が何人かの同僚に振り分けられたりして、迷惑だ。しかし「来週の月曜は風邪で休みます」と予定するわけにも行かないのが、このsick leave である。みんなお互いにこれをやりあうので、お互い様というところがある。
こんないい加減なことをやるアメリカ人よりも、日本人の職業倫理観がすぐれている、と言えないこともないのだろうが、少し反論してみる。まずアメリカの場合、休みを取ることは本人の権利だという意識が強いから、バックアップ体制ははるかにしっかりしている。何人かでオフィスを経営して臨床をやっているもの同士が、夏休みなどの期間にお互いに2週間ずつの休暇を取り、互いにカバーしあう約束をしてりたりする。それでもどうしようもないときに、医者の場合などは臨時で少し高い給料で派遣してくれるサービスが全国ネットであったりする。
それとsick leave自体はその日数はたいしたことはない。長期休暇となるとすぐに給料が出なくなるから、おいそれと休めない。(もちろん個人が高い掛け金を払って、疾病保険に入っていれば話は別である。)すると日本のように、医者からの診断書により有給の病欠がかなり長期にわたって取れるという体制自体はありえないことになる。
考えてみれば、体調を多少なりとも崩して、万全の体制で仕事に望める自信がない場合、許容範囲内で(つまり就業規則が定める限度で)休みを取ること自体はある意味では当たり前のことではないか?その間「同僚に迷惑がかかる」ことを気にする必要は本当はないはずだ。それはむしろ経営者側が何とかしなくてはならない問題だろう。何しろ経営者側が、そのような就業規則を決めているのだから。
このように考えると、現代人が未熟になったから「新型うつ病」タイプの休みが増えた、という見方のほかに、現代人がよりドライに、合理的に、アメリカ人的な発想を持つようになったのではないか、とも考えられるであろう。
そしてもうひとつの私の感想。冒頭で紹介した編集者が書いているような人って、本当にうつ、なのだろうか? いや、「新型うつ病」を「なまけ」と呼びかえるのが編集者の発想であるならば、私はそれに同意するつもりはない。私たちはおそらく別の種類の精神的な疾患を見ているという気がするのである。(続く)