2011年2月6日日曜日

うつ病再考 (2) 怠け病は本当にないのか?

私は現在の職場で、臨床心理学専攻の学生に精神医学の授業を行っているが、うつに関する話はいつも最初の講義でするようにしている。というのもうつは、あらゆる心身疾患の基礎にあり、臨床家はおそらく日常的に接することになるからだ。(「人を見たらうつと思え」と学生には言っている。)それと同時に、うつほど「プロ」と一般人とで捉え方が異なる病気もない。ここで「プロ」という言い方をしたが、たとえば精神科医のような本来プロであるはずの人でも、うつの本質を誤解する人は少なくない。「キミはうつ病なんかじゃない。ただの怠け病だ。」と精神科医に言われたという人が受診し、結局はうつの診断が適当と判断されるようなケースもまれではない。
では、何がプロとアマを分けるかということで言えば・・・・というところでかなり我田引水になってしまうのだが、私がこのブログでかつて論じた「怠け病はない」のテーマにつながる。つまり「俺はウツだ・・・・」という人に対して、「本当のうつか、怠け病か」という分類ではなく、「本当のうつか、それ以外の病気(たとえばフォビア)か」という見方を出来るのがプロであると言いたいのだ。
話を先に進める前に、ここで改めて問うてみる。「では怠け病、という人は皆無なのか?」これはすでに論じたことだが、簡単に振り返りたい。
まず「欝ではなく怠けだ」という人たちはある典型的なプロフィールを持つことが多い。それは「仕事に関しては意欲がわかず、職場に行こうとしても様々な精神的、身体的症状のためにそれが出来ないが、趣味やそのほかの自分が興味の持てることに関しては積極的である」というものである。これでは確かに「うつ病」という診断を下すことには違和感が生じるのも無理はない。しかしこのプロフィールはすでに「健常人」と異なるところがある。それは「症状」の存在だ。普通私たちは意欲のわかないことは、ただそれをしないだけである。特に「症状」など起きない。たとえば確定申告のための書類を書くのが面倒くさい時、私たちは単純にそれを先送りするだけだ。その書類を書こうといざ机に向かうたびに、頭痛や吐き気やゆううつな気分になるということは普通起きない。しかしそのままにしておくと経済的、社会的な制裁があることを知っている。すると確定申告を我慢して行うか、あるいは制裁を甘んじて受けるかの二者択一となる。
しかし先の怠け病のプロフィールにあった、会社に行けない人の場合はどうか?その場合は「症状」に応じて医者が「うつ病」とか「心身症」の診断書を出して、病欠扱いになる。うまくすれば給料の何割かはもらえたり、傷病手当を受け取ったり出来るだろう。つまり仕事に行かなくてもしばらくは生活に困らないことになる。私達が一番許せないのはここの部分だ。「病気扱いされることで、本来の義務を怠っていても制裁を受けない」ということにこの怠け病の本質がある。
結局こういうことだ。怠け病の本質は、本来すべきことをせずに、無罪放免になっている状態であり、実に許しがたい状態なのである。「怠け病」は、汗水垂らして働いている一般の人々の怒りがこもった呼び名だということになる。会社にいけずに、一見遊んでいるだけの彼らがやがて会社をクビになり、路頭に迷ってしまうというのであれば、誰も彼のことを「怠け病」とは言わないだろう。
もう少し具体的に話をすすめる。怠け病の典型A君を考える。彼は部屋に引きこもってコンピューターゲームばかりやり、生活費としては生保を受給しているとしよう。実にケシカラン。そこでもしA君を「こら、遊んでばかりいずに、働け!」と怒鳴りつけたとする。ここで二つの可能性がある。ひとつは重い腰を上げてハローワークにいくか、仕事を探そうとすると「症状」に襲われてしまい、それが出来ないか、である。後者の場合はA君は病院にいき、その症状に応じて診断を受けることになる。(もちろん、第3の可能性として、症状を持っているふりをして、医者をだます場合もある。それが「詐病」ということになるが、数としては少数なのでここでは省いておく。)
このA君の特徴をひとことで言い表すならば「なすべきことを強いられると、症状が出てしまう人」ということになる。でも、である。これって立派に病気なのだ。少なくともこれまでの精神医としての経験からすれば、そうなるのである。症状はあたかも意図的に作り出されているようだが、「気を取り直せ」とか「しっかりしろ」とか「たるんでる」とか「気のせいだ」とか「怠けだ」といっても、それはどこかに消えてなくなるわけではない。症状がそこにあって、ある程度は目に見えて、以上のような声賭けや恫喝をもってしても決して消えることがないとき、私たちはそれを病気、と呼ぶのである。
もちろん症状は一見「好都合」に生じるように見える。疾病利得というやつだ。しかしその利得を取り去っても症状は残る。そこが肝心なのだ。症状の存在理由は誰にもわからない。しかしそれが第一に彼らを社会生活から遠ざけている。「怠け病」A君に戻ってみよう。いかにも彼はうつ病という症状を都合よく利用して生活費を調達し、部屋にこもって楽しいゲームを続けているように見える。しかしではそのテレビゲームを取り上げたらどうなるのか?彼はおそらく布団から出てこないで何もせずに一日を過ごすだろう。そこが一番「アマ」には理解できないところなのだ。(さらに続く)