2010年12月20日月曜日

解離に関する断章 その1

過去のぼんやりとした記憶の存在が、解離や別人格の決め手となる

私たちは過去の出来事の中で、実際にそれが起きたという実感がなかなか持てなかったり、それ自身がぼんやりと霞がかかったような感じがしてはっきりと想起できないような記憶を持つことがある。実際「中学の3年間が一切思い出せない」、「大学の一年のころ、○○町に下宿していた時のことが思い出せない」というような訴えを患者さんから聞くことがある。
このように過去の明確でない記憶は、それが解離状態にあり、おそらく別の人格、あるいは別の自己の状態により担われている可能性が高い。ただしそのようなファジーな記憶を持っている人たちは少なからずいる。それらの人々すべてが、DIDとしての症状を持っているかといえば、必ずしもそうではないであろう。ただし過去の出来事の記憶は、それを体験した主体を含みこんで存在するという考え方が私にとって徐々にリアリティを持つようになってきているのも確かである。わかりやすくいえば、私たちはあいまいな記憶の数だけの交代人格を持っている可能性があるということである。そこでこの機会に記憶と自己の解離という問題を捉えなおしてみたい。

(以下略)