2010年12月17日金曜日

シリーズ 「怠け病」はあるのか? その10 一応結論??

結局私の結論は・・・
昨日大学院の私のゼミで話したことが少し助けになり、この「怠け病」の問題に対する一応の結論を導くことができた。以前に同じテーマで考えた際にも至った結論だが、今回また同じになった。

「新型うつ病も、引きこもりも、甘えや怠けではなく、一種の恐怖症 phobia (ないしは不安障害)である。」

パニックディスオーダーになった人の話などを聞くと、ふとしたきっかけで、普段当たり前に出来ていたことが、急に出来なくなることがわかる。例えば電車の中で急に吐き気に襲われたということをきっかけにして、電車に乗れなくなってしまう。それまでごく普通に電車を利用していた人が、その電車で言葉に尽くせないほどの恐怖を体験すると、それに対する忌避反応が生じる。するとそれに関するあらゆることから足が遠ざかるのである。
電車恐怖になった人は、電車に乗らない限りは普通の生活ができるであろう。でも電車を使った外出ができない。そしてそれを恥に思って人に隠すと、「アイツは何だ、いろいろ理由をつけては結局出張を拒否しているけれど、会社では普段どおりじゃないか。仕事をえり好みするなんて、けしからんやつだ。」ということになる。
もちろんこの程度のことなら代償が効く。自動車を使えば遠出も可能だろう。でも代償がきかない場合もある。アメリカのある有名な学者は、自分の町以外の講演をすべて断っている。学会にも出ない。うわさによれば飛行機恐怖症だというが、本人はそれを隠し、かっこつけて、「私は怠け者だから、遠出までして講演をする気になんてなれないし、学会発表もしないのだ。」とか言っている。そして彼は変わり者、欲のないものといわれることに甘んじているのだ。
私が主張しようとしているのは、新型うつ病も、引きこもりも、ある状況に恐れ、それを避けて生きている姿として理解できるであろうということだ。私はこれで新型うつや引きこもりがすべてすっきり説明できるとは思わないが、ひとつの視点として有効だと思う。これらのいわゆる「退却神経症」と笠原先生が命名した状態は、外に出ることへの強い恐怖が存在する。
引きこもりに関しては、これが明らかに言える。ある患者さんは、自分の地元で、昔の学校のクラスメートにでもであったら、それは死を意味する、という類のことをおっしゃる。恐れていることは一つだから、それを回避出来ている時には何でも出来る。ゲームを楽しむことも、遠くの県に旅行だってできる。ところが周囲は、それを怠けとしてしか受け取らない。
新型うつについても似たようなことがおきる。仕事について、会社についてかかわることが怖いし、不安にさせるのである。それでも無理して仕事を続けるから、5時に帰宅する際には思わず開放感に襲われ、表情が和み、趣味に走るのだ。
このように考えると、新型うつは、普通の意味のうつではないと言えるかも知れない。これが昔は、「抑うつ神経症」と呼ばれていたのも理由のないことではないのである。