2010年11月22日月曜日

ありがたくない形で世間の注目の的になっている柳田法相。国会軽視との批判を受けた例の発言については、「(地元で)気を許しすぎたというのが率直なところだと思う・・・・」とした(11月22日、asahi.com) というのだが、これもヘンな発言。「気を許しすぎて」本音を語った、というのなら、一番問題な点に対する反省がないことになる。本当に「二つだけ」と思っていたことになってしまうからだ。ということは彼が失敗を繰り返す素地は残っていたということになるだろうか。でも報道されているとおり、特殊な経歴の持ち主(すし職人)とはいえ、学業は優秀だった人なのだ。ということは舌禍に気をつけながら発言するということに関する経験値が低いということなのだ。

口が軽く余計なことを言うことが多かった私は、米国でかなり苦労することになった。何しろ周りはマイノリティだらけ。それに訴訟社会。誰かにとって何か差別的な発言があるとすぐにでも矢のような批判や視線が飛んでくる。何か言う度に、誰かの気分を害する可能性がある、という状況ばかりで、たくさん失敗をしてしまった。日本は米国に比べてはるかに均一な人々により構成されているということもあり、何か発言した際にそれを批判的な立場で聞くような視点を常に持つ必要もあまりないのだろう。

思うに日本社会でお互いにぶつけ合う言葉は、かなり気安く、またぶしつけだ。日本語には敬語がある。しかしそれは裏を返せば軽蔑語が横行していることでもあり、ため口は平等な言葉というよりは失礼な口のきき方の部類に属する。政治家が記者たちに対して使う言葉のぞんざいさは目に余るが、それもその現われだろう。