2010年10月23日土曜日

精神分析学会が終わった

非日常(分析学会)が終わった。ご覧の通りブログを更新する余裕もない。大会最後のシンポジウムは最近米国で徐々に主流になりつつある関係精神分析と非常に近いテーマが選ばれ、時代の流れを感じた。個人的には良い体験もあまり嬉しくない体験もあったが、ひとつの区切りがついたという感じである。精神分析学会は、言わば精神分析療法を最上のものとするという前提のもとに成立している。それは一定のルールと原則を持つ。精神分析療法を、より治療的なものにするという努力は極めて重要である。だって精神分析は治療手段だからである。(ちなみに精神分析は治療手段ではない、という立場もあり、ここらへんは色々厄介である。)ところが従来の分析の考えを否定することは、精神分析学会そのものの存在を危うくするという可能性を持つ。精神分析学会が建物だとすると、精神分析の従来の原則を疑うことは、その柱の一本を揺さぶるようなものなのだ。治療手段としての精神分析をより良くするという努力と、精神分析を学び実践する人たちの集まりを守っていくことは、実は正反対のことだったりするのだ。そんな精神分析学会だが、大きな魅力がある。それはそこに集まる人達が非常に知的で、ハイレベルのディスカッションを聞くことが出来ることである。でもその知性と、治療としての精神分析を考える努力とは、やはり微妙にずれているという実感がある。いずれにせよ色々考えることの多い体験であった。