「留学記」は第3話まで掲載したところで一休みした。
私の1987年の原稿は、私がワープロを使い始めて二代目のものに打ち込んだ。セイコー・エプソンが初めて本格的なワープロを発売した、確か1985年に早速買い、次の年あたりにそれを改良したものが発売になったものをさっそく買ってパリに渡ったものだ。当然PCとの互換性はなく、その頃の原稿の3.5インチフロッピーディスク(だんだん死語になっていくだろう)は恐らくどこかにあるものの情報を取り出せない。結局プリントアウトしたものはスキャンして読み取るしかない。正確には、スキャンしたものをPDFに直してコピペするのだが、おかしな変換ミスが起きる。それをチェックするだけで結構手間がかかっている。それもあって内容は23年前のままでほとんどチェックする間もなく掲載している。エンターテインメント性ゼロ、というわけだが当時は自分の体験を書けば、人は興味を持ってくれるだろう、とごく単純に考えていたところがある。
読み返してみると、ほんの一年で終わってしまうパリ留学なのに、のんびり観光を決め込もう、あるいはヨーロッパを色々見聞しよう、という余裕はなく、ストイックに言葉を覚え、病院に通って少しでもコミュニケーションを図ろうとしている姿が描かれている。それでどうするのか、と言われれば、「精一杯やるだけだ。怠けている暇はない。」と答えただろう。英語で言うsingle mindedness とはこのような行動様式や思考パターンを言うのであろう。大袈裟に言えば、求道者的というべきか。
このころは朝起きるのが嫌でしょうがなかった。というより月曜を迎えるのが辛かった。またメトロに乗って病院に向かうのか・・・・。つらい、つらい、と言っていた気がする。それほどフランス社会に飛び込んでは瀕死の状態で出てくる、という毎日がストレスだったのだろう。あの種の体験はもうしたくない、というのが実感である。