2010年10月8日金曜日

フランス留学記(1987年) 第3章「少しはやれそうな気がした?」(前)

23年前の留学記を読み返すと「読んで面白い」という類のものではないが、少なくともこのころ何を考えていたかはよく思い出す。というよりほとんどのことは忘れていない、という感じだ。パリ留学というと聞こえは華やかだが、内容はずっとこんな地味なことが続いたのだ。

 ネッケル病院に通い始めて一ヵ月ほどすると、私はデイホスピタルで過ごす時間が増えるようになった。そこで精神科の治療者としてふるまう為には、まず患者とのコミュニケーションがそもそも成立することが前提となる。医師やその他のスタッフとは、必要最小限の情報交換は大体可能だが、こちらの言葉のハンディの分だけ向こうに依存した形になる。つまり分からなければしつこく聞き返し、それでも駄目ならイエス、ノ一のはっきりした質問をこちらからして分かりやすい答えをもらうのである。しかし患者との会話の場合はこちらの言葉のハンディをはっきりと前提とするわけにはいかない。更に大概の患者はこちらに気を使ってゆっくり話してくるということは期待出来ない。彼等は自分達の問題で精一杯のなのである。ましてや向精神薬を投与されて発音が明瞭でない患者や、早口で喋りまくる患者、あるいは話の内容がまとまりに欠けている患者、初めからこちらとの接触に積極的でない患者との会話は、日本語ででさえ苦労したという記憶がある。余程寛容かまたは暇な患者でなくては交流が持てないのではないか、という気持ちが始めは強かった。
ネッケル病院のデイホスピタルは、日本の大学病院で体験したものに比べて幾つかの異なる点があった。まずここでは、患者は入院という形をとる。従って患者は昼食を病院で取り、投薬を受ける。週に何日通うかはケースによって異なるが、2日から4日という場合が多い。彼等は決められた週の予定、例えば月曜は午前は創作で午後は映画、火曜は午前はプールで午後は自由、という風なスケジュールに従う。しかし原則としては患者は他人に迷惑が掛からない限りはある程度は自由に過ごすことが許されている。合計二十人に満たない患者は教室一つ分の大きさの部屋で主として過ごすことになる。部屋にはデイ・ホスビタルのスタッフや看護婦が控えていて、患者との対応をしたり、その動きに気を配ったりする。これらの結果は木曜日の、スタッフ全体の集会の際にまとめて討論されることになる。
私はデイホスピタルの部屋に、毎日時間を決めて少しずつ行ってみることにした。言わばフランスでの患者との初めての接触ということになる。私が、部屋の中央の、大きな机の周囲にある椅子のひとつに腰を掛け、ぼんやりと、しかし退屈しているわけでもない、という風にして座っていると、やはり患者達はこの白衣を着た見慣れない東洋人をいぶかしげに思うらしく、不思議そうに眺めるか、それとなく言葉を掛けて来たりする。私は彼等に対して、出来るだけ日本の病院でして来たのと同様の応対を、不自由な言葉ではあるがするように心掛けた。こうして何人かの患者と顔見知りになり、会うたびに少しずつ言葉を交し合う、という関係は、私の危惧とは裏腹に、比較的容易に成立した。
この過程で私はいろいろなことを考えさせられていた。その一つは、日本のデイホスピタルや、比較的軽症の患者の病棟での体験と、有る点ではほとんど同じである、という事である。本来デイ・ホスビタルに自発的に通ってくる、という患者には共通した特徴が考えられる。それは彼等がどの様な仕方ではあれ自分の病気の事実や、自分にとっての病院の必要性を受け入れているという事からくるように思う。彼等は比較的軽症だったり病勢が安定していて、しかし社会復帰には一歩至らず、専ら自宅に引きこもることを避ける為に自発的に通って来る。
この、自分から通って来る、という事がある意味での彼等自身にとっての弱みと感じられることがあるようだ。初めから病院のスタッフを受け入れないのであれば、彼等がそこに居る根拠はなくなることになる。従ってデイホスピタルに来る患者はある程度積極的に接触を求め、強制的に入院させられた患者が時に持つ、ある種の取り着く島のなさというものが余り感じられない。
同様の事は私が初めて直接に言葉を交すことになった患者についても変わりなかつた。私に初めて話しかけて来た30代半ばのP氏は、やや唐突に自分の日本の知識を被露した後に私に幾つかの質問をして来た。その彼との比較的ゆっくりとした言葉のやり取りをしながら、私は何故かフランスに来て初めてある種の対等な関係での会話のすることが出来た、という気がした。私がそれまでに接触した、自負に満ち、一歩もゆずる用意がない、といったフランス人とは違う雰囲気を彼は持って私に語り掛けて来ていたのである。P氏は私の言葉に緊張した面持ちで耳を傾け、それからゆっくりと選びつつ言葉を返してくる。少なくとも私の言い分を途中で遮ってまで畳み掛けてくる他のフランス人とは全く違った印象があった。(余談となるがその後に看護日誌の彼についての看護婦の記載を見、色々な意味で考えさせられてしまった。そこには「思考が抑制され、話し方も緩慢で、しばしば言葉に詰まる。」とあったのである。彼は数ヵ月前に急性幻覚妄想状態に陥り、回復期にあるということであった。)
しかし私はデイホスピタルの患者の持つ、日本では体験しなかった率直さ、ある種の明期さをも感じ取った。彼等はお互いに顔見知りになったと判断した次の日から出会いの際には真っ直ぐに近づいて来て握手を求め、こちらの目を正面から見て「ボンジュール」と接拶をしてくる。私は彼等の示すこのような態度に少しばかりうたれる気がした。これはフランス人一般の挨拶の仕方についても考え直させられる切っ掛けとなった。
彼等の形式的で心のこもっていない様に感じられていた挨拶は、しかし病院で患者から受けると不思議と重みを持ったものに感じられた。彼等は自らの病による悩みによって挨拶をぞんざいにすることは少ないように見える。私は同じような状況で日本で出会った患者達だったらどうしていただろう、などとあれこれ考えたりした。(続く)