2010年8月2日月曜日

ブログをどうするか?

最近読んだ本に、免疫学者多田富雄先生の「寡黙なる巨人」がある。ただ先生は、実は世界的に有名な免疫学者であり、しかも能の鼓の名手であったという。

   集英社 2007年
昔大学の教壇で目にした若々しい医学者のイメージが重なると親近感がわき、「免疫の意味論」なども読んでいた。それだけに彼が数年前に突如脳卒中で半身麻痺になった顛末を書いたこの本は非常にインパクトがあった。彼はそれ以来なくなるまで、特に最後はガンでこの世を去る際には、寝たきりになりながらコンピューターで一字一字入力する形で執筆を続けたのだ。

私達が五体を満足に動かすことができるのは実は大いなる僥倖なのである。動かせなくなり、ベッドで過ごすことになった後の人生も考えておかなくてはならない。ということで、最近はキンドルとか電子書籍とかに、そのような意味で興味がわく。宇宙物理学のホーキング博士によれば、文明の栄えた人類の歴史はもうそう長くない(そもそも宇宙の歴史の中ではほんの一瞬)ということになるが、そのおそらく最後の瞬間に、あらゆる知的作業を、それこそ数多くの文献を検索し、それをもとに執筆するという作業も含めて「寝たきり」でできるようになった時代に生きているというのは、私達はかなりラッキーな人類に属している。なにしろ虫歯一本治療するにも、その「治療」(ペンチのようなもので歯を抜くこと)ための激痛におののく時代に生きていた祖先のことを考えよ。彼らにとっては虫垂炎でさえ死病だったのだ。

結局何を言いたいかと言うと、ブログを書くということもその伏線であり、寝たきりになっても考えを伝える手段を作っておくという意味があるということだ。これはある意味で非常に贅沢なことだ。私達は病気になったり歳をとったりすると、人目に出るのが憚れることが多い。見る方も見られる方もつらいだろう。そしてそのブログに「コメント」欄を作るということは、自分の考えを伝えるだけでなく、読んだ人の反応を聞けるということだが、これは贅沢過ぎるように思う。と言うのでこれは私にとってはあくまで実験的なものである。