2010年8月29日日曜日

怒らないこと その5.  恩返し? 鳩山さん、そりゃないよ。

例によってインターネットで拾ったニュース記事だ。

YOMIURI ONLINE (2010年8月28日) 党内に「鳩山氏は出しゃばりすぎ」との声も
「ロシア訪問中の鳩山氏は27日、代表選で小沢氏を支持すると表明した理由について、モスクワ市内で記者団に『小沢氏は政権交代を導き、私を首相へと導いた。その恩には恩返しするべきだ』と説明した。」
ハッキリ言って、鳩山さん、バッカじゃないの? (`×´)
先ごろ強者には怒っていいのだ、ということを書いてから、強者に対しての怒りを色々と書きたくなってきた。それにしてもネット上とはいえ、「バッカじゃないの?」とは品のない言葉だ。職業柄、患者さんにも、院生にも、特にカミさんにはそんなことを言ったら大変なことになるし、そもそもそんな言葉など頭に浮かばない。でも著名人には結構辛らつな言葉が出る。特に政治家。それほど私は鳩山さんや小沢さんを強者と思っているし、サンドバッグのように扱っていいと思っているのだ。(強者、弱者という言い方は、イヤらしい言い方だが、その背景はすでに説明したとおりだ。強者側が弱者側を搾取し、ハラスメントをしおおせるような関係をこう呼んでいるのである。虐待者、被虐待者といってもいい。いつもの例で申し訳ないが、もし鳩山さんが不眠症で私のもとを訪れたら、私は二度と鳩山さんのことを「馬鹿みたい」とは言えなくなる。彼は私のクライエントになるからだ。すると今度は、鳩山さん、あなたが不眠症だというスキャンダルを私は握っていますよ。と彼の弱味に漬け込んだり脅したり出来ることになってしまう。ちなみに私は不眠症が弱味になるとは思っていないので・・・・念のため。)

冒頭の記事に戻る。「恩返しをする」のは、鳩山さん、あなたの個人的な事情でしょ?だったらその人が総理になる資質がなくても、お世話になったらなってもらうの? どうして国民が本来選ぶべき総理を、そんな個人的な事情で決めようという発想がわくのだろう? それでいて他方では「国民の皆様のために」政治をやっているとか言っているのである。この矛盾って小学生でも感じ取ることができるんじゃないか?

ついでに言えば、「鳩山氏は出しゃばりすぎ」という議員も、もし公の席で言っているとしたら、鳩山さんとまったく同じレベル、という気がする。「アイツ、出しゃばり」というのも個人的感情でしょ?つまり「本当は僕も目立ちたいんだけれど、あいつばかり目立っている。クヤシイ!」もちろん心で思うのは自由だ(というより人間はたいていはそのレベルの感情で動いている)が、鳩山さんの発言を批判する理由としては全く的外れだろう。国際感覚欠如、とは言わないまでも、まったく「村社会の論理」に浸りきっている。そこには義理、人情、恩、和などが先行し、理性や個人が従属したり無視されたりする。実際は政治家の社会は閉鎖的だし、そこでは村社会の論理が支配することは分かっている。でもそれがまずいことを知っているから、公的にはそんなセリフが出てきてはいけないんでしょ?

でもこの「村社会の論理」は、日本人のメンタリティの根底にあって、私はそれが好きなのだから皮肉なものだ。私はどこに行ってもおおむね細やかな配慮の行き届いたこの社会にいられて幸せだと思う。でもその日本人のメンタリティのかなりの部分は盲目的な、相互信頼と相互犠牲に基づいていて、それはお互いの自由と自立性を相当に縛ることになる。

青山通りを歩いていて100円玉を落として気がつかずに立ち去ろうとしたとする。それを拾った人は私を追っかけてきて渡してくれるかもしれない。もし拾った人がそうしなかったとしても、私を追いかけるのが、照れくさく、恥ずかしかったからだけだろう。そういう人はそっとその百円玉を間近の歩道の縁石あたりにおいて行ってしまうのだ。「僕はネコババなんてしませんよ。」と自分に言い聞かせて。そういう日本人は私はとても好きだ。ほぼ百パーセント、お金が拾った人のポケットに消える社会に長年いたからだ。

ここでの心の動きは「村社会」的である。人のお金を取ってはいけない。だから追いかけてでもお金を渡すべきだ。なぜなら人はお互いに助け合って「友愛」の精神で生きていかなくてはならないから。そのような友愛の社会においては、人から受けた恩を忘れないということは絶対であり、そこには自己犠牲はあって当然である。ところで・・・・・もちろん私がお金を落としたら、人はそれを拾ったら私のもとに届けてくれてしかるべきである。人もまた私のために、自己犠牲をしてしかるべきだ。そういう社会を築かかなくてはならない。もちろん二酸化炭素の排出量を率先して抑えなくてはならない。自分からそういう姿勢を示すべきだ。25パーセント! え?アメリカは日本を頼りにして、相互平和に向けて精いっぱいの努力をしてほしい?もちろんです。沖縄のことでも力を注いでほしいって? もちろん。 トラストミー! あれ、沖縄村に行ったときは、彼らに「トラストミー」っと言ってしまった。どうしよう。彼らは全く別のことを言っているのに。まあいいか、皆の幸せのために精一杯努力をし続けてくれば、みなその姿勢に感動して許してくれるだろう。・・・・・これじゃアメリカ人じゃなくても「宇宙人」と思うのではないか。

不可知性との関連で。鳩山さんは人は皆「友愛の精神」で結びついていると思っているし、その意味では他人の心は読み取れるはずだ。その精神に従わない人は間違っているのであり、友愛の精神が足りないからだ。これはおそらく他人を不可知とみなすこととは全く逆であろう。さもなくばこう考えるはずだ。「100円玉を拾った人の心になにが起きるのかは本当は分からない。でも最終的に落とし主にお金が返るような社会を作るためには何が必要かを皆で考えよう。」

ちなみに人の心を想定内にとどめようとしている鳩山さんを「宇宙人」(つまりその心が計り知れない)と呼ぶセンスは悪くないのだろう。

うーん。結局、私は別に鳩山さんに対して怒っているわけではないらしい。ただ呆れているだけである。