2010年8月8日日曜日

不可知性 その2.

おそらく一般の方にはどうでもいいこのテーマを続けるのは、本質的にこのブログは自分だけのものだからである。これを読んでいらっしゃる読者(推定12人)は、大変申し訳ないのだが、たまたま私の都合で付き合っていただいているだけである。
しかしそうは言っても不可知性のテーマはできるだけその面白さを知ってもらいたいという気持ちがある。それはおそらく皆のためになるという気持ちがある。ただし私は素人である。だから書いている内容は、実は裏をとっていない。うろ覚え、どっかでこんなことを読んだ気がする、ということを書いていることも多い。私がはっきり出典をあげていないところは、確かさはそんなものと思っていただきたい。
しかしそれにしてもどうしてこの不可知性が面白いかについて、もう少し話したい。つまり私がこのテーマにビビっときたのはどんなところか、である。(牧●●子さんの表現を使わせていただきました。)そうすることにより、私がなぜ「どうしてカモノハシかも?」という、優柔不断で非断定的で、不価値そのもののようなキャラが好きなのかも、すこしはわかってもらえるだろう。(実はなんとなく、単にかわいいだけ、かも。)

毛はいつもはてな?の形をしてるよ。時々思いついたときにピン!とまっすぐになるとか。

不可知性の最大の原因は、私たちが住む世界が、ともうもない数の粒子から成り立っているからだ。だから世界の動きは到底ニュートン力学では追えない。例えばビリヤードで15の玉を崩して、最終的にどの玉がどこで止まるか、など予想できるだろうか?そしてビリヤードの玉より途方もなく多い粒子(水、窒素、酸素、などなど)の世界に私たちは生きている。その動きを追うための手段はせいぜい流体力学。しかし流体の動きのシミュレーションが出来るようになったのは、コンピューターの発達を待たなければならなかった。そして最新のコンピューターを用いても、極めて基本的な水の流れ(流れを遮る一本の杭の周囲にできる乱流など)のシミュレーションくらいしかできないという。すごいなあ。気象現象など極めて大雑把な予想しかできないのも当たり前の話というわけだ。ましてや人の体の変化や心の動きなど・・・・・・。
では気象現象は、人の心は、まったく予想できないのか。そこで意味を持つのがゆらぎ、である。(続く)