2010年7月13日火曜日

オタクについて 4 オタクか、創造者か

やはり院生には悪いが、此処にキミたちのことを書く事は難しい。あえて書くとしたら、「●●さん、少しは●●●したまえ。」となってしまい、何のことだかわからなくなるだろう。結局登場するのは、カミさん(私のブログに興味がないから決して読まない)、両親(PCを持っていない)、そして私がアメリカで出会った人々(日本語が読めない)、うちの犬(チビ:ブログを読めない)に限られてしまうのだ。

オタク vs 創造する人、という図式で今度は創造する人を描写してみよう。創造する人はまず本や物語を読むのが苦手だ。面白さは多少はわかるが、「しょせん物語り,現実のほうがもっとすごいことが起きるだろう。」と思っている。学術書を読んでも、それが自分の専門だと、三分の一ページ読んだところで、「自分だったらこのように論旨を展開する」と書き直したくなり始め、先に進めない。彼はものを書くときも、それがかつて誰も言わなかったことであるほど、それに価値を置く。昔の人がすでに言ったことはあまり意味がないと思うし、そのために文献を渉猟することも面倒くさくなってしまう。物集めに凝る蒐集する、分類する、という事へのエネルギーは相対的に少なくなる ・・・・・。
この人物像は、実はイギリスの精神分析家D.W.ウィニコットのプロフィールに私が脚色を加えたものである。精神分析の歴史の中で、彼ほど創造的な仕事をした人はないであろう。そして彼は読書が上に書いた意味で苦手だったと言う。引用文献も少なく、エッセイのような論文の書き方をしている。それでいてその独創性から、後世に与えた影響は大きい。
では普通の人間はどうかと言えば、両方を少しずつ併せ持っていると言うことであろう。そしてIQ的な意味での知的水準が高いと言うことは、オタク的な、システムを吸収する力がそれだけ高いし、またそれが広い範囲に及ぶと言うことだろう。オタクの場合は、どのようなシステムに関心を持つかが限定されていることが多いが、IQの高い人間は、それが広い範囲に及ぶ。どの分野にも、そこに存在するシステムを取り入れ、その面白さを理解することが出来る。本が好きで、映画が好きで、いろいろ博識である。器用に物事を吸収していくが、そこに創造性は保障されはしない。