2010年7月1日木曜日

(続き)

ところで脳の全体の働きが同期化したらどうなるのか? これは困ったことになる。てんかんの大発作、いわゆるグランマールと言われる病気がある。てんかんは部分性と全般性とがあり、全体性だと大脳皮質の広範にわたって発作波が出現するので意識がなくなる。いわゆるプチマールはそれがごく短時間繰り返し起きるだけで、全身運動に影響はないが、グランマールとなると意識を失うだけでなく、全身の激しいけいれんが起きる。

グランマールが起きている状態で脳波を取ると、かなりの広範囲にわたって、大波が出現し、しかも同期化している。つまりは脳波の同期化の極みは、グランマールやプチマールなどの全般性てんかん発作となる。カイカンなどとは程遠い!だから脳の活動のつながりが快感である、という原則がそのようなレベルにまで当てはまるはずはないのも確かである。快感の生まれる脳の興奮は、穏やかに広い範囲の脳が共鳴しているような状態であろう。それは・・・・・ややこしい表現をするなら、ある形式をその全体として把握している状態と言える。例えば美しい絵、感動する旋律、巧みに設えられた推理小説など。それらの全体がつながって感じ取られるような体験は、快感を生む。

そもそもあることを把握する、分かる、という体験もそうだ。数学の問題を読んでいても、最初は意味がつかめず、解決の糸口が見当たらない。それがある瞬間に全体が見えることがある。それが大脳皮質の広い範囲にわたって共鳴が生じた時だ。その逆を考えるのも分かりやすい。分かりにくい論文。駄作の小説。部分部分だけが脳の一部を興奮させるが、全体がつながらない。それが「何が言いたいのかわからない状態」である。よくかけていない論文とは、要するに美しくない、脳に快感を与えない論文のことである。