「ASP(アスプ)さん」とは、アスペルガー症候群と言われている人たちの総称として私が勝手に使う用語だ。しかし決して差別的な呼び方と思わないで欲しい。私は実はアスペルガー症候群は病気ではないのではないかと思うほどだ。なにしろ「男性的」な人たちは、みなアスペルガー的だからだ。(ただし「男性的」、という場合には、女性でもありうるし、もちろん「男性的」でない男性諸君の存在も想定している。またここで言う「男性的」とは、マッチョのイメージとは程遠い.要するに心の働き方のことだ。)おそらくこのASPさんたちとおタクと呼ばれる人たちは一致はしていないが、共通集合が大きいだろう。だからこのおタクについてのエッセイで、ASPさんたちに登場してもらう。
ちなみにASPさんではないおタクとはどのような人たちか? ASPさんたちはアスペルガー症候群の特徴を、程度の差こそあれ備えているのであるから、空気の読めなさ(「心の理論」の希薄さ)と物事への特殊なこだわりを持つ人達ということになる。だからこだわりがあってもそこそこ対人関係が保てたら、ASPではないオタク、ということになる。そしてその中には美的センスが高く、こだわりにも品があって多くのファンに支持される人もいるだろう。創造的で、芸術もたしなみ、目利き、などと呼ばれて重宝がられるかもしれない。北大路魯山人などもそのような人だったのではないか? 彼などは華麗で、創造的なおタクではあっても、ASPさんではなかっただろう。
ともかく、ASPさんたちについての話を続けよう。実はASPさんたちの中には、どうも共感の糸を保ちにくい人がいるということを時々感じるのだ。もちろん愛すべきASPの人たちはたくさんある。私たち臨床家は、たいてい自分の担当するクライエントの立場にある人たちに特別の共感を示す傾向にある。私たちが自分たちの共感能力や愛他性を一定の量しか持てない以上、その対象を限らざるを得ないからだ。すると第一に家族、そして次がクライエントに対してということになる。これは何も治療者として逸脱したことではない。「お客さんは大事にする」、ということに過ぎないのである。クライエントさんについては物事を出来るだけ好意的に解釈することは、臨床家が自分の仕事にモチベーションを持ち続けるためにも、そして自分の自己愛のためにも大事なことなのだ。
ASPさんたちがクライエントとして持っても、それは同じなのだが、それでもとても難しいことがある。そしてそれは、おそらく彼らの心の理論の希薄さ、と関係している。臨床家としての患者に向かうポジティブな気持ちは、実はクライエント側からのほんの少しでも伝わってくる「思いやり」に依存しているということがわかるのだ。そしてそれをなかなか向けてもらえないのである。そしてそれを彼らはなかなかわからない・・・。(続く)