2010年7月29日木曜日

失敗学 その4 残心は失敗学につながる

私は武道などで言われる「残心」について決して深く理解しているという意識はないが、臨床的には非常によく体験する。またまたどうしても頼ってしまうwikipediaによれば、

「・・・・技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。・・・」

ある患者さんと電話で話していて、疲れといら立ちを感じた。受話器を置いて思わず「アーア」とため息が出た。そしてふと受話器が完全に置かれていなくて、まだラインがつながっているということに気づいた時、「あ、このため息を聞かれたかもしれない」」とヒヤッとしたことがある。おそらくタイミングから言って、多分相手は私のため息を聞くことなく受話器を置いただろう。しかしタイミングとしては結構危うかった。

もちろん相手が友達や家族なら、これはありである。時には目の前の母親に聞こえるようにため息をつくこともあるだろう。しかし患者さんを相手にこれをやるのは明らかにこちらの落ち度である。明らかに不快になる可能性のあるような電話なら、それをとらないという選択肢もあったであろうし、もし治療者として電話での応対が必要であるならば、それは仕事なのだから、ため息などつかずに、そこでの感情は処理できなくてはならない。もちろん、「そうはいっても治療者も人間だから…・」という声聞こえないわけではないだろうが、仕事上のことならおよそどのような場合にも当てはまる。タクシーに乗って、初乗り程度の距離の行き先を告げて、運転手が「ハァー」とため息を付いたら?レジで小銭をゆっくり取り出して言われた額を正確に払おうとした客に、レジ係の口から「アーア」と思わず出てしまったら?客の側が逆上してもおかしくない状況である。

仕事としてするなら、覚悟を決めて気持ちの余裕を持たなくてはならない。「カスタマーに失礼があってはならない」、と言い聞かせる程度ではおそらく足りない。ふとその注意が途切れると「自然な」反応が出てくるからだ。「カスタマーを常にいかに心地良くするか」くらいで丁度いいのかも知れない。ちょうど目的地に向かうのに、「遅れてはいけない」ではなく「いかに約束の一時間前につくか」を考えることでミスを防げるように。

残心って、「余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念・・・・」とかwiki では言っているが、そんなにカッコつけなくても、失敗を減らす工夫や知恵だと思えばいいのである。ただしもちろん目的地に一時間前につくようにしていても、やはりたまには遅刻は起きる。それを意識しておくことが失敗学である。人間のやることに失敗がなくなることは決してない・・・・・。