2010年6月24日木曜日

(続き)

気象モデルが心のモデルとどのようにつながるのか、という点は分かりにくいかもしれない。しかし気象現象を一つの流体の動きと考えると少しわかりやすい。コップの中に入っている水を攪拌し、その動きをみる。100回試してみると、100回とも異なった水の動きを見せるだろう。攪拌棒の動きをほぼ同じようにすれば、水の動きも似たようなものになるが、細かい動きは決して同一にはなりえない。前回はできた小さな渦が今回はない、あるいは渦の形が微妙に違う、などのことが起きる。コップの中の水=流体はその分子の巨大な集合である。そしてその規模を気の遠くなるほど拡大すると、海洋となり、大気圏の動きとなる。そこには法則性と偶発性の共存が起きる。
心のモデルでそれに見合うのが、いわゆるニューラルネットワークである。これは巨大な数のニューロン(神経細胞)からなるネットワークである。ここのニューロンは、流体を構成する分子のように移動はしない。その代わりニューロン間の信号の伝達が、いわば個々の分子のように働き、そこで流体現象が起きている。そのような説を提案したのが、ノーベル賞受賞者のジェラルド・エデルマンである。彼は心とはどのように生じるかを考え、次のようなモデルを提唱した。
まず心の生じる場を構成するのは、巨大な数の、互いに結びついたニューロンからなるネットワークである。そして個々のニューロンの間、あるいははニューロン群の間の結びつきが様々なレベルで生じ、そこでの再入による結合 reentrant connectionこそが心が生じる素地となるという。再入とはあるニューロン間の信号の流れが、ちょうど逆方向の流れにより裏打ちされるということだ。彼が特に主張するのが、「視床皮質間の再入による連絡」である。皮質とは大脳皮質で、まず様々な感覚器からの入力がここで処理され、大雑把に仕分けされる。次にそれらは視床に運ばれて、そこで統合されるわけであるが、この皮質と視床の間の情報の往復運動が、その感覚が意識されることだ、というのである。
これはエデルマンが提唱している心の生じ方の仮説であるが、もう一つ彼が提唱しているのは、ニューロンによるダーウィニズムという考え方である。ニューロンの興奮は、いわば「流行り」みたいなところがある。あるイメージを思い浮かべる、ということはイメージを形成することに用いられるニューロンの大多数が、そのイメージの形成に参加するということの結果である。しかしある時にそれらのニューロンが何に多く投票をした結果、そのイメージがメジャーとなって思い浮かべられるかは、ちょうど流行り廃れのような偶発性を備えている。だから同じイメージを浮かべたつもりでも、前回と今回では細部が微妙に異なる、ということがいくらでも起きる。たとえばキティちゃんをイメージし、素早く描きとったとしよう。一時間後に同じことをすると、きっと細部はかなり異なるはずだ。すると顔はほぼ同じニューロン群が多数派を占めても、指の形となると結構いろいろな意見が出されて、その時々で何が採用されるかわからない、ということが起きるのである。細かいところは自信ないが、ざっとこんなことをエデルマンは言っているのだ。(Gerald Edelman, G., Tononi,G.(2001) A Universe Of Consciousness How Matter Becomes Imagination Basic Books.) 
これと気象モデルの類似性はいいだろう。心は気象と同じように、ある種の大雑把な法則に従って動く。ただしその動く先を予測することはできない。またその細かな動きには種々の蓋然性が働く。そのために細部から全体を推測することは極めて難しい(日本付近に停滞している前線を調べて、メキシコ湾内のハリケーンの位置を知ることはできない。こんにちは、という声のトーンから、その人のその日の気分の状態を知ることは大概は無理である。) ましてはそれらを動かしている深層、などというものは考えられない。大気のどこを調べても、中心はないし、同じように心にも中心はないのである。