精神科医になりたてのころから今までの私の考え方の変遷について振り返ってみたい。とにかく人の心の働きに興味があったことは確かである。関心が精神分析に向かったのは、あくまでもその目的のためであった。フロイトの「精神分析」では特になく、「精神を分析する」という意味での「精神分析」を求めたのである。だから始めてフロイトの精神分析の概要を理解できたと感じたとき、「え、精神分析って、これだけなの?」と思ったことも確かだ。(なんと傲慢な!)
私が精神分析を学び始めてまずつまずいたのは、いわゆる心的決定論である。
・・・患者がセッションに5分遅れる。治療者は患者の側の無意識の抵抗を解釈する・・・・。このような分析のプロセスを知ってびっくりしたものである。これまで無意識の心の働きを知らないことで、自分はなんて物事が見えていなかったのだろう? ・・・・私はそういうレベルだった。人の心は無意識に支配されている。それを的確に知るためには、自分の、無意識を知る必要があり、そのためのトレーニングが必要となる。しかしそれにしては決定的な問題があるように思われた。人の無意識のエキスパートたる分析家達が、一つの夢に関して十人十色の解釈を行うのだろうか?トレーニングが有効なためには、人間の無意識内容とその意識レベルでの表現との間にある種の決定論的な因果関係が成立していなくてはならない。そうでなくては無意識を解釈により解き明かすという壮大な試みは論理的に破綻しているのでは・・・・・。私は精神分析を学び始めていたが、その種のプリミティブで、でも根本的な疑問に答えてくれる分析家の先生はいなかった。「そんなことは分析を本格的に勉強すればわかるようになるよ」という人と、本来精神分析に興味を示さない先生方がいたというだけである。ある意味では私は精神分析に向いていなかったのだろうか?それでも私は精神分析を学びにアメリカに行ったわけである。
それ以後の私の分析のトレーニングが波乱に満ちたものになったことは想像に難くないであろうが、米国の精神分析は極めて多くの流れを含んでいたために、私は好奇心を満たすだけの知的刺激をうることができた。しかしそれは自ずと精神の非決定論的な性質を描き出すもの、そして同時に人の心の問題をすこしでも解き明かし、解決する希望を与えてくれるものへと向けられることになった。それは脳科学でもあり、複雑系の理論でもあった・・・・。(続く)