2010年6月12日土曜日

「イラ菅と自己愛の問題」

応用問題として、昨日インターネット上で拾ったニュースを取り上げる。
「イラ菅」早くも炸裂 我慢の糸切れる (産経ニュース)2010.6.11 19:35 菅直人首相は11日、首相官邸でのぶら下がり取材で、記者団の質問に不快感をあらわにし、早くも短気な性格から「イラ菅」と呼ばれてきた本領を発揮した。記者団から、今国会の会期を延長しない方針をめぐり、野党側から「逃げている」と批判されていることを問われると首相の表情は一変。「何の批判ですか?」「なぜ批判が出ているのですか?」と4回にわたり、記者団を“追及”した。さらに、所信表明演説に具体性がなかったと指摘されると「全部聞いてました? もっと大変なことを申し上げたつもりなんですけど」と怒気を強めた。国民新党の亀井静香代表が金融・郵政改革担当相を辞任したことで鬱憤がたまっていたためか、首相就任からわずか4日目にして我慢の糸が切れたようだ。
さてこの怒りは何なのだろうか?「野党側から『逃げている』と批判されていることを問われると首相の表情は一変・・・」とある。彼は実際に国会で野党から、「逃げている」と非難されて顔色を変えるだろうか? たぶん否である。おそらく「お前たち記者くんだりに、何でそんなことをいわれなくちゃならないんだよ!」記者はうまく、「~と言われていますが・・・」と逃げているが、管首相にとっては、貴社から直接いちゃもんをつけられているのも同じなのだ。自分より下と思っている記者から、ききたくないことを言われることで、首相のプライドは著しく傷ついたのだ。昨日の「人はそれぞれ対人関係の中で『自分は~だ』というイメージを持っている」というのはこういうことである。「自分は野党の党首からこれを言われても仕方がないが、記者から言われて恥をかかされ手おとなしくしているような人間ではない。」というイメージを記者が傷つけたのだ。
ただし記者はただの記者ではない。ペンを通して、あるいはテレビでの映像を通して国民に訴えることの出来る「権力者」でもあるのだ。そして記者たちはそのことを知っている。こうして実は記者たちもまた深刻な自己愛のフリーランを起こしかねない人種であることも確かなのであろう。