はじめに
本特集は「✖✖✖ ― 基本的知識から臨床実践まで」である。本章ではいわゆる多重人格、正式には解離性同一性障害について、ストレス因との関連から論じる。
解離性障害がDSM₋Ⅲ(1980) に診断名として正式に採用されて以来、ある種のストレスが解離症状を起こすという考え方は一般的に受け入れられているようになってきている。DSM-Ⅲに同時に採用されたPTSD等のトラウマに関連した障害の最大の特徴は、それらとトラウマという環境因との因果関係が強調されたことである。そしてそれは戦争や虐待や性被害等が人間の精神にもたらす影響の重大さが再認識されたという時代の流れと軌を一にしていたのである。
DSM-5やICD-11では、解離性障害はPTSDを代表とする「心的外傷及びストレス因関連症群」には含まれてはいないものの、深刻なトラウマによるPTSD症状には解離的な要素が多く含まれるという理解が最近ではなされるようになってきている。Lanius らはストレスによる反応として、一部は解離様の症状を示すことを強調し、それがPTSDの中の解離タイプという概念につながったのである。
この大枠の理解の仕方は正しいとしても、どれほど正確なのだろうか?解離は果たしてPTSD症状のネガなのであろうか?そもそも解離は単なる症状なのだろうか?それ以外の何かが解離には潜んでいるのではないか? それらが本考察の主要なテーマである。
解離は防衛機制か?
最初に問うてみる。解離は防衛機制なのだろうか? Frank Putnam のテキストには以下のように述べられている。「解離が生き延びるための価値 survival value を有するという考え方は、 広く受け入れられている」。Putnam は Braun & Sachs, 1985, Kluft, 1984, Spiegel, 1984.という錚々たる著者を引用してそう述べており、これは学界のコンセンサスと言っていいであろう(p9)。
解離が防衛として働くという考えはある意味では常識的なとらえ方である。最初にトラウマが生じた時に自らをその状況から隔離するという形で解離が起きたと考えられるからだ。その瞬間に主体が精神的に生き延びる際に役に立ったという意味では、それはまさに防衛機制であったと言える。しかし問題はそれがその後の人生で、それ以外のあまり危機的ではない状況でも繰り返されるようになるということである。
解離が一種の防衛ないしは防御反応としての意味を持つ場合、それは私たち人間一般に備わっていてしかるべきである。その一つの候補としていわゆるOBE(幽体離脱)という現象を考えてみよう。これはある出来事を切っ掛けとして自分の意識が肉体から抜け出し、第三者の視点で自分自身を眺めているように感じる現象とされ、最近の研究では一般人の10~20%の人が体験するという研究もある(Moix J, et al, 2025)。このOBEが生存のための防御反応か否かという議論がしばしばなされてきた(Blackmore,S (1983)) 。
このような反応が私たちの一部に備わっているとしたらこれは特筆すべきであろう。ちなみにスイス連邦工科大学の Olaf Blankeによる研究(2005)は、右脳の側頭頭頂接合部 (Temporal-parietal junction、TPJ)を刺激することにより、OBEと少し似ている体験を確実に誘発可能であることを発見したとされる。
なお同様の現象は明らかに進化論的にかなりプリミティブな段階で生物に備わっているものと見なすことができる。ライオンに駆られたインパラはもがき暴れることなく捕食者のなすがままに任せているように見える。
OBEそのものは様々な状況で生じ、それ自身は病理現象とは言えないが、解離性障害を有する人々の体験の基本形として、類似の体験が聞かれる。通常はある種の危機的な状態で当人の意識は失われ、同時にもう一人の自分が立ち現れる。そのもう一人の自分は元の自分を外から俯瞰したり、もとの自分に乗り替わってその体験を持ったりする。その際はもとの自分は意識を失う。このような現象は、自らをその状況から隔離するという形で生じると考えられ、その意味で上記の生き延びる価値を有すると考えられるだろう。その反応は、痛みを回避するための意図的なものでは決してなく、自然に体の反応として生じるのである。
ともかくも、解離がその人にとって一種の防衛としての機能を担っているということについては、特に異論は生じないであろう。