「ASDと解離」覚書 (内海健「自閉症スペクトラムの精神病理」(2015、医学書院 を基本テキストとして)
彼の理論における中心的な概念はΦ(ファイ)であり、他者の視線(志向性)のレセプターと表現される。他者に心があるということを直感的に知ることが出来る条件。そしてそれが不足している(欠けている?)のがASD。
🔴ASDは 直観的な共鳴 sympathy
他者(の視線)により自己は飛び散る(質量が不足しているから)。ジル・ボルト・テイラーという脳科学者の体験記が参考になる。
🔴定型者は 心を介する共感 empathy
他者(の視線)によりもともと存在している自己は背後に下がる(質量が十分だから)
ASDにおける地続きの心の例:ある15歳のASD者。持っている茶碗を落として割ってしまったが、「茶碗がかわいそう」泣き叫んだという(内海、p130)。これは茶碗に心を見ていなくても生じることであろうか?あるいは茶碗だったら心を投影できるのか。3つの表情のみのロボットや動物なら共感できるという例も知られている。つまりASDでもかりそめのΦの存在を示している可能性はあろう。しかしそれはおそらく二次元的な心なら受け入れるのであろう。つまりそこから mind reading による無間地獄に発展しないような関係性なら持てるわけである。
共同注視が出来ない:ASDにおいて欠ける傾向にある共同注視は、「他者の心を直感する際の一つの様式。もっとも基礎にあるのは視線触発だが、それは異質性に対する直観を生むことになり、彼らには脅威である。それに比べて共同注視は相互理解の礎となる、寄り添うような認識である。(内海,p 68) つまりは他者はもう一人の自分であるという認識を支えてくれる体験を生む。ちなみにワンちゃんはある意味では常にこちらの顔色をうかがうという意味では共同注視をしているかもしれない。ASDでは「他者と地続き」でこれをすることが出来ない。
文脈が読めない:Φは一頭地を抜く存在であり、それがないと「文脈が分からない」という事になる。俯瞰できずに文脈に飲まれてしまうからだ。これがいわゆる「空気を読めない」という現象になる。そしてこれは(文脈を)「読む」という言い方をしてはいても直観的にわかるものである。