昨日の続きである。もちろんこのことは「バウンダリーの問題はそんなにうるさく言う事ではないよ」ではない。バウンダリーの逸脱は非常に頻繁に人間社会で起きている可能性があり、その一部で確実に犠牲者を生み、また一部ではそれなりに関係が進展していくという現実があるという事だ。例えば昨日の例では選手とコーチの関係が男女の関係に発展するという事がどの程度頻繁なことは分からずとも、生じるべくして生じていて、一部では悲劇が生じ、一部では「上手く行く」(????)という事だろうか。では●出監督の話は「上手くいった」(結果オーライ)の話なのか?これは非常に難しく、錯綜としたテーマなのである。ただ一つの仮説として成り立つのは次のことだ。
バウンダリーの侵犯(ここからは境界侵犯に呼び変えよう)は極めてハイリスクな出来事である。確実にトラウマを生む素地といえる。ところが他方にそれに対する感受性があまり高くない場合には、その境界侵犯のトラウマ性を克服、凌駕する力を相手が持ち、境界侵犯により新たに始まった関係性を生き延び、場合によってはそれを利用する場合がある???
例えば●出監督の無節操さ(と敢えて呼ばせていただこう)を●チャンが「これってアリなの?」と疑問に思いつつも受け入れてその関係をwin-win なものにして生き延びる?これも現実だという事だろうか?私はこの問題は余りにリスキーすぎてこれ以上ブログでは論じることが出来ない。という事で今日はここでおしまい。(実は明日のレクチャーの準備で忙しいのである。)