2025年12月20日土曜日

JASDに向けて もう終わったけれど 2

 文脈が読めない:Φは一頭地を抜く存在であり、それがないと「文脈が分からない」という事になる。俯瞰できずに文脈に飲まれてしまうからだ。これがいわゆる「空気を読めない」という現象になる。そしてこれは(文脈を)「読む」という言い方をしてはいても直観的にわかるものである。


mind reading の有無:Φが成立しているということは他者のまなざしに触発され(ハッとして)、羞恥心を持つという体験につながる。まなざしが私たちの心を揺さぶるのは、そこから無限の共鳴状態(岡野)が始まるからだ。相手の視線を通じて対象化される自分。それは自分を対象化する(すなわち自分がある)視点と重なる。自意識を持つ人は、たとえば「自分はこんな恥ずかしいことをしていて、人には言えないな」と感じるだろうが、それを丸ごと目にするかもしれない人の存在に驚愕するのである。それゆえに他者の視線は怖いが、その自分が実は他者に対して同じことをしている。そのことを向こうも知っている。つまりそこには無限の交互性がある。例の対人関係における「無限地獄」である。
この無限交互の世界に入ることは、他者と会うという行為がそのままその他者の自分に対する経験のモニターの成立を意味する。世界は他者体験が「込み」になり、対象は「もの」(視線触発をしてこない)と他者(してくる)に分かれる。またそこで自分が存在していないと、この無限交互的な体験は「自分を失う」という恐怖を伴う体験となる。