昨日の話の続き。ここで反復性・新奇性の比率をfとしよう。そしてそれが興奮を最大にするような絶妙な組み合わせがあるとして、それをFとする。ここまで書くと、私がこれを遊びの問題に結び付けようとしているのが分かるだろう。そしてFを提供してくれるような二者の交流の一つがじゃれ合い(RTP)であろうというのが私の仮説である。 さてここまで書いたところで、遊びの問題に戻る。RTPは相手が何を繰り出してくるかが、そして自分がそれにどのような反応をするかが未知であり、毎回適度なPEが生じるからこそ面白い。 もし相手を襲い掛かるしぐさがワンパターンでマンネリしてきたとすれば、相手も面白くなくなり、そのリアクションを変えてくるだろう。するとこちらも少しずつバリエーションを増やしていき、fをFに近づける努力をすることで、RTPの炎を絶やさないようにする。こうしてFを維持して自分や相手を刺激し続ける類の活動なのだろう。そしてそれを通してお互いの成長がある。 このRTPの遠い目標は何だろうか。それはPEMであり、世界が、相手が、自分が分かってしまう境地であろう。すると自分と相手は完全に同期してしまい、それ以上の相互作用の余地がなくなってしまう。完全な同期化は、だから一種の関係性の死を意味するのかもしれない。そしてRTPにも、治療にも予測不能性がなくてはならない。それが playfulness というわけだ。治療が playful であるということは、適度のPEを産生することなのである。