2025年5月16日金曜日

パニック推敲の推敲 その2

パニックや不安への力動的なアプローチ

 現代における分析的・力動的な治療者は、これまで述べた脳生理学的なメカニズムを理解し、患者の生まれ持った気質や早期の養育上の問題、パニックや不安の遠因や引き金となる様々なトラウマ記憶やストレス因について把握しておく必要があるだろう。そしてその上で当面は現実の生活において生じるパニックや不安をいかに軽減ないし回避するか、という具体的な対処を求められることになる。
 その際現在の精神医学においては薬物療法が主流と考えられることは十分理解できる。薬物療法は患者において過剰に働いているタクソンシステムに対して薬理学的に働きかけるという、直接的かつボトムアップ的なアプローチと言えるであろう。また暴露、反応予防、リラクセーショントレーニングも同様に、扁桃体の記憶システムに保存された無意識的な神経連合を弱める働きを有するものと考えられる(Cozolino p.248)。

 しかしパニックや不安を抱えた患者の力動的なアプローチには、海馬―大脳皮質系のロカールシステムに働きかけた、トップダウン式の治療の併用が必要となる。そしてそこにはCBTやストレス免疫療法を含めたあらゆる言語的な介入が含まれることになる(p.248)。

 もしパニックや不安がかつて体験したトラウマや心的ストレスに関係していることが比較的明らかな場合、その過去のトラウマ記憶をいかにあつかうかが臨床上重要な課題となろう。ただし不用意なトラウマ記憶の扱いは、深刻なフラッシュバックの再燃を招きかねない。とはいえトラウマ記憶を回避することだけが望ましいとも言えない。フロイト以来分析家が気が付いていたのは、恐怖症の患者に関しては患者は恐れている状況に直面しない限りはほとんど前進がないという問題である(2003,p835)。そこで臨床的な経験値に基づいた微妙な匙加減が必要となる。 

 幼少時の愛着の問題が疑われる場合は、力動的なアプローチはより錯綜したものとなる。そこでは愛着トラウマに関連した棄損された自己イメージや対人関係上の問題が扱われることになるが、それはいわゆる複雑性PTSD(以下、CPTSD)における「自己組織化の障害」に対するアプローチに相当すると言えよう。筆者はかつてCPTSDの精神力動的な治療として以下の幾つかの項目にまとめたが(岡野、2021)、それはパニックと不安の力動的なアプローチにも概ね当てはまると考える。


1.治療関係の安全性を確保し、それが基本的には癒しを与えるものとなるよう心がけること。

2.トラウマ体験に対する治療者側の中立性を守ること。

3.愛着トラウマの視点を常に保つこと。

4.解離の概念を重視し、それが治療場面で立ち現れる可能性を常に念頭に置くこと。

5.関係性や転移、逆転移の視点を重視すること。


これらのうち特に1と3に関しては、治療関係そのものが愛着トラウマの再現とならないような安全性が保障されたものとなる必要がある。それは現代の精神分析において提唱されている「愛着を基盤とした精神療法」(J.Holmes)の基本指針に概ね沿ったものである。その提唱者であるHolms は、治療者―患者の脳生理学的な同期 synchrony を重視し、それが治療における変容性を持つ瞬間 mutative moment に重大な影響を及ぼすと考えている。そしてそのために治療者は徹底した受容 radical acceptance を心がけ、分析的な解釈に先立つものとして患者の情動と関係性の世界の保障 validation を重視すべきであるとする。さらに同療法ではメンタライゼーションは前頭葉-扁桃核の神経連合を促進するものとしてとらえる。

力動的な治療にはまた認知レベルでのアプローチも当然含みこむ。そのうえで筆者は特に原田(2021,p118)の示した治療指針を参考にしたい。原田はCPTSDにおける幼少時の繰り返されるトラウマを「複雑性外傷記憶」と呼ぶが、これは先述のアラン・ショアの言う「愛着トラウマ」にほぼ相当するものと考えられよう。そしてそれに対する認知療法的なアプローチを提唱する。その中でも外傷記憶の活性化により「友好・安心モード」から「敵対・混乱モード」に移るという図式を示し、それを患者への心理教育も含めて治療のターゲットの一つとする。これは患者が示す問題について、その認知的、行動的なレベルでの表れにフォーカスを絞った治療方針として非常に有効と思われる。

 パニック発作が自分のどのような感情に関連しているかをより自覚する試みとしてはMilrod らの「パニックに焦点付けられた力動的精神療法」が挙げられる。Milrod と Busch は1997年に週二回、全体で24回のセッションからなる治療法のマニュアルを提唱した。この研究ではるPSRF (panic-specific reflective functioning パニックに特化した内省機能)というスケールを用いる。つまり患者がパニックに関わるその他の感情にいかに内省的かを測る指標であり、それはこの治療の前後で明らかに下がっていると報告している。このアプローチは精神分析的なオリエンテーションに基づくものではあるが、パニックや不安と他の感情との関連をより自覚化するという意味では、同様にロカールシステムのトップダウン的な働きかけに準ずると考えることが出来よう。

まとめ

  本稿では精神分析的・力動的な立場からパニック・不安の理解について示した。パニックや不安は複雑な病態であり、又それを扱う精神力動療法も極めて複合的なものであり、やや議論が錯綜した感がある。しかし現在の精神分析が脳科学や愛着理論を取り込んだグローバルな視点からパニックや不安に取り組んでいる事情はある程度示せたかもしれない。