2025年5月30日金曜日

遊びと愛着 推敲 13

ちなみに脳の同期化の問題は、共感ということの意味をも変える。共感は対面している人のPEM(predictive error minimization 予測誤差の最小化)を促す効果があるのだ。
例えばある時電車に乗っていて強い不安を体験し、それをどう理解し説明したらいいかが分からないとしよう。突然息苦しくなる、ムカムカする、不安になる、胸がドキドキしだす、等。これは明らかに予測していなかったことで、大きな予測誤差 predictive error を意味する。「なんで自分だけがこんなことになるのだろうか?」「どうして今、この時にこれが起きるのだろうか?」「日頃の行いが悪いから罰が当たったのだろうか?」などなど。そして誰かに話してこの突然襲ってきたPE(予測誤差)を説明し、理解し、納得したい。
その時にそれを話した相手が共感的に「一種の閉所恐怖でしょうね。でも私にもそんなことがありますよ。」「ほかに体の症状がないなら、特に心配はいりませんよ」などと言い、その人はそれなりに落ち着いたとしよう。するとそれまでの得体のしれない、そしてその意味で大きなPEは、何らかの説明が出来るものとなり、その意味で「処理」されて小さくなっていく。そう、PEはそれを説明されることである程度は低減するのだ。そして共感されるということは、自分の気が変になっていて、体験していること自体の意味が分からなくなってしまっている状態から救い出してくれるのである。  こんな別の例はどうだろう。急に苦しくなり、自分の体に何らかの病変が起きていると確信する。しかしとりあえず救急治療室に駆け込むことで、そこでこれから医師から何らかの「説明」や「診断」が与えられるであろと思えることで、ある程度のPEMは生じるはずなのだ。  ここで人が持つ予測 prediction (P)する力というものを考えよう。これが大きければ、予測誤差(PE)は当然小さくなる。そしてこの予想する力は、その正確さではなく、むしろそれの及ぶ「範囲」の大きさに反映されるだろう。例えば囲碁で自分が打った一手にたいして、相手がどこに石を打ってくるかを考えるとしよう。上級者はあらゆる可能性に対応できるだろう。しかし初心者は一つ、二つしか相手の手を予想できず、それを外れたどのような手にも驚き、考え込んでしまうだろう。 この場合の上級者の予測は、ちょうどAIが行うような「確率的」なものだ。ここに来る確率がだいたい80パーセント、あそこには10パーセントくらい、など。それ以外に1パーセントでいくつかの個所を予想する。それが一番「正しい」予想の仕方だ。一つの正解を予想することは必要ない、というより意味がないのである。
例えば相手は絶対ここに打ってくるであろう、という予想がいかに正確でも、それを外れた場所に打たれる場合を全く予測していなかったとしたらほとんど意味がないことになる。いわゆる「フレーム問題」の再現である。確率的に予測する、ということはどの手に対してもそれなりの対処の仕方が分かっているという意味で、PEを最小にする最善の方法である。
例えば(たとえ話がしつこいな)囲碁の有段者が初心者を相手にした場合、初心者が勝手がわからずに打ってくるあらゆる手に対して余裕で応対できるであろう。有段者の予測する力の大きさは、相手がどこに打ってきても対応できるという力なのだ。
考えてみれば人にとってPEそのものがいけないというわけではないことになる。いい意味のPEもありうる。テストの点数が、思っていた以上に良かった時、とか。問題はPEによりとてつもない不安が惹起されるときである。あるいはかつてPEの後に襲ってきた不幸やトラウマの記憶を呼び起こすという点が問題なのだ。だからPEに際して「大丈夫だよ」あるいは「何が起きても守ってあげるよ」と伝えられることは結果的にPEMに繋がるのだ。予想外のことが起きた、でもそれでも(いつものように)大丈夫なのだ、と感じることは結局はPEM(予測誤差の最小化)が生じたということなのである。