2024年9月30日月曜日

統合論と「解離能」22 

ということで「解離能 dissociative capability」について深掘りしたい。ところがこの文献が本当に乏しい。結局はすでに紹介した Richardson RF.Dissociation: The functional dysfunction. J Neurol Stroke. 2019;9(4):207-210.にヒントが隠されているか。 まず考えよう。自分の身体に痛みが加えられる前に体外離脱を起こすというのは、能力なのか。おそらくそう考えることもできよう。それにより体験をしている自分と、それを観察している自分の二者が存在する。柴山先生のいう「存在者としての私」と「まなざす私」が出来上がる。これは即自存在から対自存在になるという、私たちの自意識の成立と同じくらいの大きな転換点となるだろう。後者は私達人間においては意識は自分と一体化していない、あるいは自分そのものと意識が分かれているという状態と言える。(少なくともサルトルは対自存在についてそう言ったらしい。)これは素晴らしい能力であり、その能力があることを心から感謝すべきであろうが、解離における存在者としての私とまなざす私の分離は、対自存在のあり方をまさに血肉化したような現象であり、ごく一部の人たちにしか体験されないものである。これを能力と言わずして何であろう。 野口五郎の体験を思い出すな。 スポニチ Sponichi Annex 2024年9月23日(月)から引用。 ・・・歌手の野口五郎(66)が29日放送のフジテレビ「ボクらの時代」(日曜日午前7・00)に出演。35年間も歌唱イップスと闘い続けた過去を明かした。「そんな長らく苦しんだイップスを克服したきっかけは「コンサートで歌ってて、ふと俯瞰(ふかん)で見られた瞬間があって、自分と会話しているような瞬間があって。歌を歌っている最中に“おまえ、ブレスしてないぞ、大丈夫?ブレス忘れたのか、大丈夫か?”“マジ、ブレスしないで歌っちゃったの?”“やべー”なんてしゃべってる、そんな瞬間があったんですよ」と野口。「そこから楽になった。今は楽しい。“今のために歌ってるんだ”って思って…。“あ~良かった、35年間イップスで。こんな瞬間があるんだったら、許す!”って思っちゃう、苦しんだことを」と笑顔で語った。・・・ これって一つの偉大な能力(治癒力?)という気がする。ただしイップス自体が解離症状という考え方もあるが。