2024年5月30日木曜日

「トラウマ本」男性のトラウマ性 加筆訂正部分 1

  読者の皆さんは、この「トラウマと男性性」という章の出現に戸惑われるかもしれない。しかしそれが本章のテーマである。私は男性と自認しているが、社会において男性がいかに他者に対してトラウマを与えているかということについて、同じ男性目線から何が言えるのかについて、この際自分自身の考えを掘り下げてみたいのだ。

 まず問題意識としては、過去および現在の独裁者や小児性愛者や凶悪犯罪者およびサイコパスのほとんどが男性であるのはなぜか、という疑問がある。これほど明確な性差が見られる社会現象が他にあるだろうか。そしてそれについて男性自身による釈明は十分に行われていない気がする。これは大いに疑問だろう。

臨床上のなやみ 

 このテーマについて、私は一つの臨床上の問題を体験している。私は男性による性被害にあった女性の患者に会うことがとても多いが、その被害状況で実際に何が起きていたかについて患者と一緒に辿ることがある。もちろんそうすること自体が再外傷体験に繋がりかねないから十分な注意が必要だが、その中で一般論としての男性の加害的な性質が話題になることも少なくない。「一体男性はその様な状況でどうしてそのような言葉や行動をとったのだろうか?」ということについて検討するというわけである。そしてその際、男性の性のあり方についてどのように説明したらいいかについて常に悩むのである。説明の仕方によっては患者の心の傷を深めることさえあるのではないかと考える。
  ある一つの事例を提示しよう。

       (省略)


 Aさんは私との外来で、その先輩の行動について意見を求められた格好になった。私は言葉に詰まったが、それはその男性の行動の説明がつかないから、というのではなく、どのような答え方をすればAさんにとってある程度納得がいくものになるかが想像できなかったからである。それでも私は何らかの返答をする必要があると思い、「男性がそのような場面で豹変することがあり、困った問題である」という内容の説明をした。
 もちろん私自身にもその答え方がベストだとは思えなかったが、それに対してAさんはこう答えた。「『男はみなオオカミだ』、と先生も言うわけですね。それを男性は一種の免罪符のように用いるのですね。」と言われて返す言葉がなかった。

この時のAさんの反応を受けた私の反応としては、「どうして逆効果になりかねないことしか言えないのだろう?」情けなさと、「ではどうやったら説明できるのだろうか?」という気持であった。 私としては男性の有する性衝動の強さが性加害性に大きな影響を及ぼすという事実は広く認められているものの、同時に性被害の当事者には受け入れ難いという事情とどのように折り合いを付けることが出来るのだろうか、と深く考えさせられた。そしてその疑問がそのまま本章のテーマとなったのである。