2023年12月10日日曜日

未収録論文 17 パーソナリティ障害とCPTSDについて考える

 パーソナリティ障害とCPTSDについて考える

精神療法 (2021)47 (4), pp478-480 金剛出版に発表(タイトル:エッセイ・パーソナリティ障害とCPTSDについて考える.)        

私はComplex PTSD(以下CPTSD)という概念にはそれなりに思い入れがある。この概念は1992年に米国の精神科医ジューディス・ハーマンがその著書 ”Trauma and Recovery” (Herman, 1992, 邦訳「心的外傷と回復」)で提出したが、当時米国にいた私は、この著書が周囲の臨床家にかなり好意的に迎えられたことを記憶している。その後実際にハーマンや同じボストンで活躍する彼女の盟友バンデアコークの実際の講演を聞き、その熱い思いを身近に感じたものだ。
 それ以来DSMやICDなどの国際的な診断基準が改訂されるたび、CPTSDやヴァンデアコークが提唱したそれと類似の概念DESNOS(Disorder of Extreme Stress, not otherwise Specified;ほかに分類されない極度のストレス障害)が正式に採用されることを多くの臨床家が期待したが、そのたびに失望に終わっていた。そして今回ようやくICD-11 にこれが所収される運びとなった。CPTSDもDESNOSも単なるラベリングであり、患者個人の個別性を規定するものではないことはわかっている。しかしその上で言えば、これらはある一群の人々の持つ特徴を表す際に非常に有用であるように思う。
 それらを前提として、本稿ではCPTSDとパーソナリティ障害との関係について考えることになるが、そこには少しこみいった事情がある。それはこのCPTSDの概念にはハーマンによりフェミニスト的なスピンがかかっていたからだ。一般にトラウマ論者はフェミニズムに親和的であるが、それは多くの性被害に遭った女性が治療対象となることを考えれば納得がいく。そして彼女の場合は精神医学の歴史において従来差別の対象とされてきた「ヒステリー」の患者さんたちをこのCPTSDの概念に重ねたのだ。ただ事情を複雑にしたのは、BPDもまた差別されてきた対象としてこのCPTSDに組み込まれていたことである。
 もともとハーマンは反戦運動や公民権運動に身を投じていたという。そして精神科医の研修をする中で直面したのは、それまで非常にまれだと報告されていた女性の性被害の犠牲者が、精神科の患者の中に極めて多く見出されるという事実だった。この問題をもっと明るみに出さなければならない、と考えた彼女が「心的外傷と回復」を書くに至ったのである(Webster, 2005)。
 ハーマンがこの本でCPTSDとして具体的に想定している一群の患者が従来の「ヒステリー」の患者であったと述べたが、具体的には、解離性同一性障害(従来の多重人格障害、以下DID)、身体化障害(以下、SD)そしてBPDを含むとした。最初の二つは従来ヒステリーの解離型、転換型と呼ばれていたものに相当するため、CPTSDに含めることに特に異論はなかったはずだ。しかしそこにBPDを加えることには、違和感を覚える人がいてもおかしくなかっただろう。
 ハーマンの意図を知るためにTrauma and Recovery(原著)を改めてひも解くと、そこにこんな記載がある。
「今となっては古臭いヒステリーという名前のもとにSDとBPDとDIDの三つがまとめられていたのだ。」「それらの患者は通常は女性であるが(…)それらの疾患は信憑性が疑われ、操作的であるとされたり、詐病を疑われたりした。」「これらの診断は差別的な意味を伴い、特にBPDがそうであった。」(1992,p.123)「これらの患者たちは「強烈で不安定な関係の持ち方を示す」。「これらの三つの共通分母は幼少時のトラウマである」(p.125)。つまり当時明らかにされつつあった、BPDの多くに幼少時の虐待が見られるという知見から、ハーマンはBPDを解離性障害と同様に従来のヒステリーに位置付けたわけである。
 さてバンデアコークの提唱したDESNOS(2002,2005)とBPDとの関係はどうだったのか?こちらもまた「BPD寄り」であることは以下の記述から伺える。(van der Kolk, 2002)。

    (以下略)