2023年9月14日木曜日

連載エッセイ 8 推敲の推敲 3

 分離脳が示す人の心の在り方

 最後に分離脳から見えてくる人間の脳と心の在り方について私なりの見解を述べてみたい。

 これまで書いたように、右脳は外部からの情報をまず大枠で取り込み、情緒的、道徳的な反応を行う。この右脳の最初の反応は左脳による説明や加工を受ける前の心という意味で私はそれを真なる心と呼んだ。他方では左脳は右脳の起こしかけた判断や行動について他者や自分自身に対して言葉で説明しようとする。そしてジルテイラーが示すように、左右の脳の機能は、お互いが抑制し合い、譲り合い、その結果としてその人の知性や経験を反映した常識的なものとなるだろう。

 しかしこれは左右脳がお互いに連絡を取り合い、連携することで成り立つのである。脳の部分は、それが周囲から孤立すると暴走する傾向にある。それは右脳についての、左脳についても言える。そしてそれが典型的な形で現れるのが、分離脳の患者さんの振る舞いだ。

 左脳は単独で働く際には、この作業をかなりあからさまに、ないしは機械的に行うのである。何しろ右脳に損傷のある人は、自分の動かない左手を見て、「それは私の手ではありません」と説明しようとさえするのだ。この主張は文章としては誤りではないものの常識では受け入れられない主張だ。でも左脳は平気なのである。それどころか右前頭葉の損傷などで妄想は一つの症状とさえなりうるという。また左脳の中でも運動性言語中枢であるブローカ野が感覚性言語中枢であるウェルニッケ野から切り離されると、ウェルニッケ失語症と言って、言葉は流暢で多弁ですらあるが、人の言葉を理解できず、また言い間違いが多く、意味のない言葉を羅列する等の様子が見られる。つまり喋る能力だけが切り離されて勝手に暴走しているロボットのようになってしまう。

 では右脳だけになった場合はどうか。左脳に切り離された右脳の振る舞いについては、ジルボルトテイラーの生の体験が非常に参考になる。彼女は自分が誰かもわからなくなり、自他の境界がなくなり宇宙と一体になったと感じたという。「左脳がついに完全停止を余儀なくされたとき、私は右脳の安らかな意識に包まれ、そこでは危機感がすっかり失われ、・・・・ただこの瞬間だけに存在してました。」

 要するに私が言いたいのは、左右の脳は相互補完的であり、2つがあって一つなのである。決して片方だけでは役に立たない。

しかしそれでも私は依然として、左右脳のうちで優位なのは右脳の方だと言いたいのだ。右脳は主で、左脳は従である。精神医学では実はさかさまで、言語野のある方(ほとんどの場合左脳)を優位半球、反対側(ほとんどの場合左脳)を劣位半球と呼ぶ。しかしこれは不正確で誤解を呼ぶと私は言いたい。

 本当は右脳が優位であるという点を忘れるとどうなるだろうか。それは左脳の産物を絶対視してしまうことにつながる。そしてそれは私たち現代人が、特に欧米風の考え方に毒されかけた場合に陥ってしまう問題でもある。例えば私たちの行動を規制しているのは、自然法則であり、法律である。そしてそれらは左脳により生み出され、磨き上げられるのである。自然科学の分野であれば、この左脳の優位性は必然なのだろう。いかに常温での超電導物質が発見されたという報告が人類にとって朗報の可能性があるとしても、厳密な論文の審査でその正当性が認められなければ、それが却下されることはどうしても必要なのだ。

 しかしもう一つの左脳の産物、すなわち法律はどうか。それが具体的に運用された時のことを想像しよう。あなたは被告の席に座り、原告の訴えがいかに誤っているかを主張している。そして非常に多くの場合、あなたは体験するのだ。「いくらこちらの主張の正しさを法的根拠をもとに主張しても、裁判官はそれを聞き入れてくれない。」目の前の裁判官はあなたの主張を生理的に好かないようで、あるいは最初から聞き入れる気がないように思える。そして裁判官は別の法的な根拠をもとにあなたの主張を却下する。そしてその様な体験を通してあなたが知るのは、誰かの右脳による行動を極めて巧みに正当化すべく用いられることがいかに多いか、である。

 いかに弱者を守り、強者の不正を取り締まるべく法律を整備しても、常に勝つのは自らの右脳に基づいた行動を巧みに正当化するべく左脳を働かせた人々である。もちろんそれをなし得るのは、ごく一握りのお金と権力者を有する人たちなのである。しかしその力や影響力は決して侮れない。某国Aが某国Bに軍事侵攻をした時、Aの大統領は自分達の領土を何としても広げたいという右脳の訴えにそのまま従ったことになるだろう。しかし彼の左脳はその行動を「B国にいるわが国民を守るための行動だ」と嘯き、驚くべき数の国々の支持を得る。

 この例のように弱肉強食の国際社会での紛争ほど、国連の決議という左脳の産物が無力化されてしまう例はないだろう。そこで生じているのは言葉を持たない猿の社会での右脳同士の弱肉強食の戦いと少しも違わないのだ。