2023年7月5日水曜日

連載エッセイ 5の2

 意識を特徴づけるクオリア体験

   そこでこのクオリアの議論について少し振り返ってみたい。クオリア qualia とは要するに物事の体験の「質感」ということだ。日本語では「体験質」と訳されることが多い。最近のクオリア論について少し調べてみると、かなり「脳科学的」であることに改めて驚く。この連載「脳科学と心の臨床」の第4回では、これまでに私たちの個々の体験を神経細胞によるネットワークの結晶の興奮として論じてきたが、クオリアは物理現象、たとえば神経細胞の興奮の結果として生じるという捉え方が主流となっているようだ。そして私たちが主観的に体験するあらゆる表象は、脳の物理的な状態に随伴して生じているもの(「随伴現象 epiphenomenon」)に過ぎない、というのが、いわゆる「物理主義的」な立場である。

 その様な立場の代表の一人としてダニエル・デネットをあげよう。有名な「解明される意識」という分厚い本を書いたアメリカの哲学者、認知科学者である。彼は、意識やクオリアは一種の錯覚であるという立場を示した。彼は意識が脳内の様々な演算から生まれてくるものだとし、多数の著者により論文が書かれていくプロセスのようなものだと考えた。いわゆる「複数の草稿」説である。そして彼が主張したのは、意識の生じるような一つの場所(「デカルト的な劇場」)などは存在せず、脳のいたるところで半ば独立した能動体 agency が活動して内容を決定する作業が行われるということだ。私の目からはその主張は概ね納得がいくものである。私が前回論じた内容とほぼ同じ主張である。しかし彼の主張がとりわけ多くの反論を呼んだとすれば、彼がクオリア論を非科学的なものとして棄却したためのようである。

Daniel Dennett (1991)Consciousness Explained. Little, Brown and Co. ( 『解明される意識』青土社、1998年)

   このデネットに代表されるような視点に異を唱えているのがオーストラリアの哲学者デイビッド・チャーマーズである。彼は1995年から始める一連の著作活動の中で次のような主張を行う。「意識体験は、この世界の基本的な性質 Fundamental property であり、クオリアを現在の物理学の中に還元することは不可能である」。そして意識の問題を解決するにはクオリアに関する新しい自然法則の探求が必要であると主張した。しかしこれは言わばデカルト的実体二元論の復活であると批判されることとなった。

   このクオリアをめぐる論争は極めて錯綜していて多くの哲学者や脳科学者がそれに加わっているが、紙数の関係もあるので、私自身にとって本質的な議論と思われる点について論じたい。