2021年11月5日金曜日

解離における他者性 35

共意識状態の不思議

 さてここでの本題は共意識状態をどうとらえるか、であるが、もう一度van der Hart のタイプ分けに戻ってみよう。

タイプ1. 統合されていた機能がストレスにより一時的に停止した状態。 
タイプ2.同時に生じる、別個の、あるいはスプリットオフされた精神的な組織、パーソナリティ、ないしは 意識の流れ。

ちなみにこのタイプ2の原文はthe concomitant development of a separate, split off, psychic organization, personality, or stream of consciousness である。このタイプ2.をどこまで正確に理解すべきかは難しいが、concomitant development of a stream of consciousness を「同時に生じる意識の流れ」とした場合、どうも先ほどのスイッチングする意識ABのような状態を指す可能性もゼロではない気がする。Aの意識とは「異なる意識Bの流れが同時に生じる」としてもABが同時に活動しなくてはならないとうたってはいないからだ。しかしここで問題にしなければならないのはあくまでも共意識状態である。そしてそこではスイッチングは生じず、したがって心は一つという条件はどうしても満たさなくなるのだ。

断っておくが、もちろん解離性障害においてスイッチングはその重要な特徴の一つといえる。そして人格ABの間のスイッチングも生じうる。ところが臨床においてみられるのは、ABがその間で特にスイッチングを起こさず、共存している状態もよく観察されるという事である。

しばしば臨床場面で見られるのは、人格間の「論争」である。人格ABのある発言を聞いて、それに反論をするということがある。その際は発言するBもそれを聞くAも意識としては共存している(共意識的である)ことになる。柴山 (2007) の言う「存在者としての私」と「眼差す私」もまた共意識状態であり、それだからこそ後ろから見られている感じを抱くのである。ただしもちろん人格Aの覚醒時に人格Bは「眠って」いる場合もあり、常にそれらが共意識的であるという必然性はない。そしてこの共意識的という性質は、いわゆるスプリッティングやスキゾイド・メカニズムなどの分析的な防衛機制と一番異なる点である。

もちろんABのスイッチングが「高速で生じている」という可能性もゼロではない。私たちは例えばパラパラ漫画やアニメーションで画像が切れ目なく連続的に動いているように感じられるためには一秒間に20コマ以上が流れる必要があるという事を知っている。もし意識にも一秒間に20ABの間を行ったり来たりするという力があるとすれば、それも可能であろう。しかしそのような事態は生じていないことは容易に想像がつく。例えば脳波は脳における活動の一つの表れと見なすことが出来るが、脳波に表されるような二つの活動状態の間の高速のスイッチングといった現象を私たち専門家は聞いたことがない。私たちの脳はAIと異なり高速での処理を行うことは出来ず、分散処理を行わざるを得ないが、それは神経ネットワーク上で伝わる情報が電磁波に比べてではあるが極めて遅いという条件が課せられているからだ。

私たちの脳がある種のスイッチングを行うとしたら、おそらく極めて緩徐である。単純な例ではネッカーの立方体の例がそうだが、次のようなだまし絵


を考えよう。この絵は見方を変えれば二つの顔が向き合っているようにも見え、また一つの顔が燭台の後ろにあるようにも見える。そしてこの絵の特徴は、この二つの見え方は同時には成立しないという事である。これは私たちが二つの意識状態(一つの顔を見ている時の意識状態Aと、二つの顔を見ている時の意識状態B)を通常なら同時に取れないことを意味する。試しに読者も試みてもらえばわかるが、A,Bの間をどれだけ素早く行き来させようとしても、せいぜい一秒間に23回どまりではないか。