アメリカでは泣く子も黙る「ドクターズアポイントメント」
日本に帰ってきて臨床を初めてたくさんのカルチャーショックを味わったが、以下のようなものがあった。患者さんがたとえばパニック障害で薬物療法が必要になる。「これからひと月に一度は通院していただくことになります。」という話になる。するとある患者さんは困った顔をするのだ。「実は今仕事を探しているんですが、月に一度通院するとなると、仕事が探しにくいんです・・・・」。
最初は私はその意味がつかめなかったが、よく聞くとこういうことらしい。私の外来(例えば月曜日と金曜日)に来るとなると、月に一度、例えば月曜日に仕事を抜けてくることになる。ところがそうなると「定期的に休むんだったら、ウチはいりません」というようなことを言われるというのだ。もちろん月曜は仕事がない日という契約なら問題はない。しかしそうでない場合に「どうして月曜日に時々来れないのか?」と問われてしまい、そうなると精神科の通院のことも伝えなくてはならず、ややこしくなるというのだ。もちろん雇う側には仕事に応募してきた人たちのプライバシーに侵入する権利はない。きちんと決められた時間に仕事をすればそれでいいはずだ。ところがそういうことまでこだわる雇い主が日本には多いらしい。
それに、である。人はみな病気になり医者や歯医者に通うということは当然ありうるのだ。そのために月に一度通院のために仕事を休むことのどこがいけないのだ!!そんなことを言ったら仕事を持っている人は医者にかかることすらできなくなってしまうじゃないか!!
書いているうちに憤慨して来た。こんな問題はアメリカではなかった。例えばキャロルが月曜日の午後2時から医師の予約が入っているならば、「じゃ、ドクターズアポイントメントなので失礼します。4時までには戻ります。」と言って仕事を抜ければそれでおしまいである。もちろん彼女がその日の午後に外出することはあらかじめ上司には了承済みで、そのために仕事の全体に支障を来すことにはならないだけの準備をしておくのは当然だ。そしてその分の時給は差し引かれるのも当然である。ただしアメリカには「シックリーブ」という制度がどこにでもあり、例えば月に3日間、つまり24時間までは病院の受診その他のために有給で使うことが出来るという制度がある。キャロルはその月でまだ残っているシックリーブの時間をそれに充てるのである。
ドクターズアポイントメントは「誰でも病気になると医師を受診しなくてはならないし、その時間はもっぱら医者の都合で決まることだから、堂々と仕事を離れていいのだ」というお互いの認識がある。そこで後ろめたさを感じる必要は一切ないのである。
アメリカでもう一つ「泣く子も黙る」ものがある。それは「ファミリーエマージェンシー(家族に生じた緊急事態)」である。これも私は大好きだ。例えば家族が病気になり駆け付けなくてはならない場合、職場はそのような事情のある同僚をこころよく送り出さなくてはならない。子供が熱を出したと保育園から連絡があったとしたら、若いお母さんは「ファミリーエマージェンシー」を理由に堂々と退出するのだ。誰も文句を言わないのは、だれもが同じ立場で仕事場を抜けることがあるからである。
アメリカで当たり前な「ドクターズアポイントメント」や「ファミリーエマージェンシー」が存在しない日本は、なんてヘンな国だ、ということになる。その極めつけは日本人がよく口にする「仕事ををやめたくても、やめさせてくれないんです!」という訴えである。「私が行かないと仕事が回らない、と上司に言われるんです。『皆頑張っているのに、なんであなただけ仕事を辞めるなんて言えるの?』と言われると、何も言い返せないんです。」これはゼッタイに、ゼッタイにおかしいと私は声を大にして言いたい。雇う側が労働者を補給するのは彼自身の責務である。人を雇う側とはそういうものだろう。
でも・・・・・。私には日本人のそのような気持ちもわかる。「つらいのはあなただけじゃない」というセリフに日本人はみな弱いのである。