2021年7月31日土曜日

嫌悪の病理 推敲 8

 3.嫌悪刺激と潜在記憶の病理

嫌悪の精神病理として、報酬系の暴走に伴う嗜癖や依存について述べたが、本稿でもう一つ論じるべきテーマがある。それは一部の嫌悪刺激は決して忘れ去られることなく私たちを苦しめ続けるという現象である。これは嫌悪の病理のさらに本質的な部分に関わるテーマである。そしてそこで問題となる記憶はいわゆる潜在記憶であり、その病理の具体的な表れが以下に述べる病的悲嘆やトラウマ記憶の問題である。

喪失体験と終わらない喪の作業

私たちが人生で味わう苦しみの大きな部分が、何かを喪失するという体験である。喪失の対象となるものは人やペットや物かもしれないし、能力や健康、身体機能、地位や名誉などの抽象的なものかもしれない。何かを失ったと知った時、私たちはそれが自分にとって何を意味するかを一挙には体験し切れないものである。最初は何事が起きたかがわからず、徐々に時間と共に失ったものの大きさを感じ、胸の痛みをひしひしと覚えるのではないか。
 ただし幸いなことに、喪失の痛みは基本的には時間とともに軽快していくものである。特に早くから薄れ始めるのが、エピソード記憶に関連した部分である。喪失体験が特定の出来事の克明な記憶を伴っている場合、そのうち特に重要でない些末な部分から徐々に失われていくものだ。これはエピソード記憶がいわゆる「エビングハウスの忘却曲線」を描いて時間とともに消去されていくからである。これが「日にち薬」という表現の意味するところであろう。
 ただし喪失体験はエピソード記憶のみによって構成されているわけではない。ここで記憶の仕組みについて復習しよう。ある事柄についての記憶は、顕在記憶(意識的な記憶)と、潜在記憶(無意識的、感覚的、感情的な記憶)に分かれる。前者は意識化され、言葉で記述することが出来る部分であり、そのなかでも「いつどこで何があったか」、という時空間的な情報がエピソード記憶である。そしてその形成にとって必須なのが、側頭葉の奥に左右一対ある海馬という部分の働きである。エピソード記憶はまずここで作られ、後に「あの出来事について思い出そう」と意図的に回想することが出来る。例えば愛犬を見送ったという出来事について言えば、愛犬が徐々に衰えて最後は看病の末になくなったという時系列的な記憶がエピソード記憶となる。
 また後者の潜在記憶にはその出来事に伴った心の傷つきや痛みなどの情緒的、感覚的な部分が含まれる。そしてそれはやはり側頭葉の奥に左右に一対ある扁桃体という部分を介して脳に刻まれる。こちらはエピソード記憶のように徐々に薄れていく保証はない。なんらかのきっかけにより繰り返し生々しく思い出される傾向にあるのだ。愛犬を見送ったという例では愛犬に結びついた情緒的、感覚的な部分が潜在記憶として残るが、こちらはより長く残り、私たちを苦しめることになる。
 ただし潜在記憶は扁桃体(および線条体も含まれる)だけでなく、そこに海馬も深く関係していることが知られている。
 ここで有名な「症例HM」の例を取り上げたい。彼は9歳のころ自転車事故のために癲癇発作を繰り返すようになった。そこで治療の為に両側の海馬を手術で切除したところ、昔のことは思い出せるのに新たな出来事は一切記憶出来なくなってしまった。そのことから海馬が記憶の形成に必須の役割を果たすことが明らかになったのである。そのHM氏は海馬を失った後は、自分の大好きだった叔父や父親が亡くなったことを聞くたびに深い悲しみに暮れたという。ただししばらくするとそのことを忘れてしまい、「叔父さんはいつ面会に来てくれるの?」などと母親に尋ねたりしたという。そして叔父さんが亡くなったと聞かされると、あたかも初めて聞いたかのように何度も嘆き悲しんだという。このHM氏の例では海馬が障害されていることで、父親を亡くしたことに伴う顕在記憶だけでなく、潜在記憶も成立していなかったことを示す。つまり顕在記憶の窓口としての海馬は、潜在記憶の形成にも不可欠であるという事を証明していることになろう。

スザンヌ・コーキン (), 鍛原 多惠子 (翻訳)2014)「ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者HMの生涯. 早川書房.

Corkin, S (2013) Permanent Present Tense: The man with no memory, and what he taught the world Penguin.