2021年2月1日月曜日

続・死生論 23

 とうとう西谷先生のReligion and Nothingness をアマゾンで注文してしまった。ペーパーバックで3991円。ネットでいろいろな論文がダウンロードできる時代に一冊の本を4000円出して購入することには勇気がいるが、やはり必読書である。この本が届く間、情報収集のために、Nothingness, the Self, and the Meaning of Life Nishida, Nishitani, and Japanese Psychotherapeutic Approaches to the Challenge of Nihilism Lehel Balogh* Journal of Philosophy of Life Vol.10, No.1 (July 2020):98-119 を読む。(これはもちろんただでダウンロードできた。)

西谷先生が西田幾太郎や田辺元などに続いてニヒリズムの超克を目指して活動を行った様子が書かれている。ニヒリスムの克服は、ハイデッガーが行っていたと書いてある。それは徹底的な欠如 radical obsense とは欠如の欠如であるという禅問答のようなことが書いてあるが、どうやらこの論調は京都学派の無や空についての考えにもつながるらしい。

「西谷は、ニヒリズムからの脱出には、その核心にまで身を投じ、無と対峙しなくてはならないと信じたNishitani was convinced that the way out of nihilism could only be reached by dipping into its heart and coming face to face with nothingness itself. というわけだ。あくまでもポジティブなスタンスと言える。

西谷は Religion and Nothingness の中で次の三つを分けている。

Consciousness: 何かを知っていると思うが、実はそれは主観的なものでしかない。

Nihility: 現実と主観との間には絶対的な裂け目 absolute breach があることを了解している。

Emptiness: この absolute breach が実は現実との密接な出会いであることを自覚している境地。

そしてこの三番目が transience というわけだ。うまく繋がるかな。