日本における死生学は、儚さや美と結びついている。無常の概念は、インド仏教に根差し、日本のメンタリティに深くしみ込んでいる。しかし武士道においては、この問題は極端にまで推し進められている。武士道は欧州の騎士道とも関連しているが、やはりかなり異質のものである。それはどのような意味でであろうか。「葉隠れ」を参照することはこの文脈で非常に参考になる。それはこの書が英訳されていて、欧米にもある程度は流布されているからだ。「葉隠れ」は武士道の聖書と呼ばれている。葉隠れの冒頭に述べられているのは、「武士道は死ぬことと見つけたり」という有名な文言である。これは極端に感じられるかもしれないが、その意図は以下のものであるとされる。「侍は死に際をわきまえ、大義のために命を懸ける用意を持たなくてはならないという事を意味する」。日本人の多くは、これが意味するところを理解する。彼らは死んで恥を雪ぐといった考え。これらについて何となくそこにある一種の美学を感じ取っているはずである。
しかしそれにしても、葉隠れとはいったい何だろうか?18世紀に山本常朝という鍋島藩の藩士が著したとされる。彼は武士がいかに生き、いかに死ぬかについて書いている。そしてその中でも特に特徴的なのが、自己犠牲の精神なのである。そしてそれは禅仏教の無我の境地、すなわち自己の死という概念に根差しているのだ、とさらっと書いたが、今書いたこの数行はとてつもなく意味がある。
それにしても、自己犠牲を本気になって説くような書はこれまであったのだろうか。あるいはこれは精神分析において扱える代物なのであろうか。
私の発表原稿ではこの点について十分に論じることなく、三島の話に移ってしまったのだ。何しろ論じることのできる紙数は限られているからだ。三島由紀夫は「葉隠れ」に傾倒していて、武士に同一化する形で自殺を試みたわけだが、彼が直前に言ったのは、「自分は葉隠れの精神を真の意味で実行に移し、そこでは自殺を決行するという最大限の自由さを行使した」という事だった。三島に対して厳しい論者はたくさんいるが、岸田秀先生はその中でも辛らつだ。「三島にとっては真の自分というのは存在しなかった。彼は両親と祖母の誰に対してもその「盲目的な愛情」を満足させなくてはならなかったのだ。彼の人生そのものが偽りの自己の表れだった」的なことを1978年のエッセイで書いている。一つ言えるであろうことは、ノーベル賞受賞作家という夢が断たれた三島が目指していたのは、ある種の殉死者としての位置づけであり、永遠で静的な境地であったであろうという事だ。思い出していただきたい。弁証法的な境地では、獲得と喪失は常に裏腹であり、満足と失望は表裏一体の関係にある。生きることがそういう営みである以上、三島はそれに満足できなくて生そのものを手放したわけであり、生における不自由さの慣れの果ての行為であったという事だ。