解離の治療論
解離性障害の治療に関してはこれまでも何度か論じてきたが (2007, 2009, 2011)、ここでは特に精神分析の立場から最近思うことをいくつか述べてみたい。
精神分析において解離は近年ますます論じられるようになってきている。の海外の文献を検索するときに用いられるPepwebという情報サイトで解離dissociationをキーワードとして検索すると、最近発表数がかなり上昇していることがわかる。Pepwebに含まれる外国語の精神分析関係の文献については、1980から1989までが405件、1990 から1999までが935件、2000から2009までが1629件、2010から2019年までが2461件の発表があり、一貫して増加傾向がある。そしてこの傾向は精神分析の内部にも地殻変動をもたらしかねない可能性がある。なぜなら解離はフロイトがことさら論じることを回避したテーマであり、その背後にはBreuer やJanetや Ferenczi との根深い意見の対立があったからだ。だから精神分析で解離が扱われる際には一種のパラダイムの転換が生じる可能性がある。それをItzkowitz (2015)は「解離的な転回 dissociative turn」と言い表した。
そこで「転回」の論文で提起されていることはいったい何であろう? Itzkowitzは「解離的な転回」の冒頭で次のように書いている。
「幼少時のトラウマの現実性 actualityは、解離的なプロセスや、解離的な構造化が可能な心や、多重で不連続的な意識の中心の存在を特徴とする心が生まれるための決定的な要因と考えられている。」「断片化された患者の精神分析治療の治療到達点は、解離された自己状態の間の連絡と理解を図ることである。」
Itzkowitz, S (2015) The Dissociative turn in psychoanalysis. The American Journal of Psychoanalysis.75:145–153.
Itzkowitzはしかしこの「転回」の具体内容については詳しく触れていない。そこで本稿ではこの提言に表されている3つの論点について考えたい。それらはいずれも従来の精神分析の考え方に大きな転回を迫るのである。
1. 心を「多重で不連続的な意識の中心」と捉えることについて。
2. トラウマの現実性およびそれと解離との関連性について。
3. 治療目標としての「解離された自己状態の間の連絡と理解を図ること」について。
1.「多重で不連続的な意識の中心」としての心の理解
このことからわかるとおり、Freud が意識の多重性について認めていたのは精神分析以前の一時期であり、その後は抑圧、自我と超自我の間のスプリッティング、そして防衛過程での自我のスプリッティング The splitting of the ego in the process of Defence (Freud, 1938,1961)(それぞれHowell の示すタイプ2~4)というあくまでも一つの心の中での分割を論じたに過ぎなかった。