解離の神経学的基盤
新たな人格部分の形成の脳科学的な裏付けであるが、それに関していくつかの注目すべき所見は得られている。最近柴山雅俊先生が監訳したElizabeth HowellのDissociative Identity Disorder -A
Relational Approach (2011) の解離に関する神経生物学的な視点についての章(第6章)を参照しよう。彼女のいう解離の「生物学的な対応物 neurobiological correlate」とは何か。
以前から論じられてきたトラウマの際の記憶の形成に関する議論がある。すなわち感情的な高ぶりが生じると、人はその時の記憶を統合した形では持てない、という議論がある。van der Kolk が1980年代に唱えたこの議論 (Bessel
van der Kolk (2015)
The
Body Keeps the Score: Mind, Brain and Body in the Transformation of Trauma. Penguin)
いわゆるエピソード記憶に代わって、トラウマに関する感覚的、情動的な記憶(トラウマ記憶)が体に刻印されるという理論は、トラウマを理解するうえでとても基本的でかつ重要である。しかしこのことと解離における他者性の問題とどのようにつながってくるのかというのが今一つ不明である。私たちがある特殊な状況でエピソード記憶を形成できないということと、別人格の成立との間に存在するであろう因果関係の連鎖を追うことは決して容易ではないであろう。
この問題はトラウマが解離を伴うものとそうでないものという異なる反応を生むことと関係している可能性がある。このうち解離を伴わない場合には、おそらくvan der Kolk 先生の言う機序が当てはまる。しかし解離を伴う場合には、トラウマ体験の際には、そこでの記憶は「もう一つの別の場所」(フロイト)つまり依然として海馬を経由はするものの主人格によってはアクセスすることのない別の部位に貯蔵され、それが場合によっては一つの形を成すと人格となる。この二種類の図式の区別は重要である。
さて具体的な脳科学的な研究に従えば、つらい体験を想起させるような状況で、脳の上位部が、情緒反応を示す部分を抑制されるという研究結果がある。Frewin Lanius(2006)らは、解離タイプの場合は、ACCと mPFC(ともに認知的な処理を行い、感情的な反応を調節する部分)が働いて辺縁系(emotional brain)を抑制することを見出した(Howell, 116)。また嫌悪を伴うような情緒的な刺激の際も前頭葉のこれらの部位が活動を高める一方では、島(とう)は活動が高まらなかったという。結論としては、解離においては情動反応をコントロールする部分が活動を高め、それにより情動反応を抑えているという所見である。
次に解離性の人格交代に関する研究では、Howellが本書で紹介しているReinders et al.の一連の研究は注目に値する。
Reinders, AA.T.S.,
Nijenhuis, E.R.S., Paans, A.M.J., Korf, J., Willemsen, A.T.M.,& den Boer,
J.A. (2003). One brain. two
selves. Neurolmage. 20, 21 19-2125.
Reinders, A.A.T.S., Nijenhuis,E.R.S., Quak,J.,
Korf,J.,Paans, A.M.J., Haaksma,J., Willemsen, A.T.M., & den Boer, J.A.
(2006). Psychobiological characteristics of dissociative identity disorder: A
symptom provocation study. Biolog1cal Psychiatry, 60,730-740.
彼らの2003年と2006年の研究は画期的であった。両方の研究で、彼らは11人のDIDの患者さんの協力を得た。彼らは普通のパーソナリティ状態(NPS)とトラウマを受けたパーソナリティ状態(TPS)にスイッチすることができた。
まずTPSの状態ではMPFC(内側前頭前野、体験の意識的な処理をつかさどる部分)の活動が低かった。他方 NPS の状態では頭頂後頭葉(体性感覚の体験をつかさどる)が十分働いていなかった。次に異なる状態の彼らに、トラウマを思い起こさせるような文章(トラウマスクリプト)と情緒的にニュートラルな文章(ニュートラススプリプト)を読んでもらい、反応の違いを見た。TPS の状態では、トラウマスクリプトを読んだときに情緒的に反応した。他方ではNPS の状態では、トラウマスクリプトを読んだときとノーマルスクリプトで、脳の活動には違いがなかった。私見ではこれらの結果が示唆しているのは、二つの人格状態(TPS, NPS)は別々の脳のネットワーク、あるいはダイナミックコアを持っているということを示唆している可能性がある。そう想定することによりトラウマスクリプトに対して、別々の対処の仕方を示したことが説明されるであろうからだ。
中でもNPSの時は両方のスクリプトで差がなかったという所見は、極めて重要な示唆を与えてくれている。NPS自身は前頭葉の賦活化が示唆されているが、両スクリプトで差を示さなかったということは、トラウマスクリプトに関して特に異なる対応をしていないことになる。すなわちNPSの際には、トラウマスクリプトの時に特に前頭葉の活動でストップをかけていた、というわけではなく、トラウマは本当に「他人事」として体験されていた可能性があるのだ。