2020年4月28日火曜日

揺らぎ 推敲 58


同じ文章を何度も見直している。推敲段階は退屈だ…。


この心拍数に見られる揺らぎは、ある種の必然性を伴ったものということが出来る。つまり目的を持った揺らぎ、と考えられる。ただし、ではどこかに誰かの意図が働いてそうなっているのかといえば、そうではない。むしろ様々な、おそらくはそれら自身も揺らいでいるシステムが全体として機能した結果として生じる揺らぎなのだ。ここでのシステムとは、人体の場合には自律神経のシステム、心臓という臓器のシステム、血圧を維持する血管系システムなどをさす。それぞれが自然な形で揺らぐことで心拍数が結果的に揺らぐ。逆にこれらの間のつながりが途切れると、脈拍は揺らぎを失ってしまうのだ。
このことを考える上で、風に揺らぐ旗を想像していただきたい。その揺らぎ方はかなりの日内変動を示すはずだ。一日のうちには風が強い時も弱い時もある。普通の旗ならその風の向きや強さに応じた揺らぎを示すだろう。それは風という外的な力に対してそれを受け流す余裕をそれだけ持っていることを示す。あるいは人の顔面の動きについて考えよう。顔面にはたくさんの表情筋があり、それぞれの動きで微妙に人の表情が変わる。私たちは日常生活で感じるいろいろなものに応じて表情を変えるし、あまり極端な振れ幅でなければ、その揺らぎはむしろ精神的な健康度を表すだろう。鬱病だったりパーキンソン病だったりしたら、ほとんど表情は揺らがないはずだ。
その意味で生命体における揺らぎは、むしろその健全さの指標とも言えるだろう。それは本来正確な一定のリズムを生むようには出来ていない。脈拍は常に一定のリズムで正確に打つことが最初から意図されていないのだ。ちょうど旗が一定のリズムと幅で揺らぐことが意図されていないように、である。脈拍はむしろ身体の各所で起きていることを反映している。という事は揺らぎは、ただ意味もなく生じているのではなく、実はその環境で生じているさまざまな影響を敏感に受け、その影響を受け流し、緩和しているのである。
つまりここで発想の転換が必要なのだ。揺らぎは他のシステムの揺らぎとの関係で生じ、それぞれの揺らぎが複雑に影響しあっているのである。そしてこのように考えると無生物の揺らぎも生命体の揺らぎも本質的な違いはないのではないかということになる。生命体の場合は意図や目的を持って揺らいでいる、という考え方があまり成り立たなくなるからだ。結局は一か所にみられる揺らぎは、システムの内部の各所で起きている揺らぎを反映しているという点では、旗の揺らぎも心拍数も変わりないのである。