失敗を生み出す記憶の揺らぎ
失敗に結び付く心の揺らぎに関しては、もう一つ私達が日常的に体験しているものがある。それは記憶の揺らぎである。記憶はそれがあまり定着していない場合ないしは忘れかかっている場合には、想起されては忘却し、また想起される、というかなりの揺らぎを示す。そしてこれもまた失敗の大きな部分を担っているのだ。
ちなみに私は以前から、自分自身の記憶の揺らぎには苦労をしてきた。最も難しいのは人の名前だ。誰かの名前を思い出そうとして、ある程度頑張っても出てこないと、これ以上いくら努力をしても最後まで思い出せないという実感が湧くことがある。つまり思い出そうとする努力がかえってその対象を追いやっているという感覚だ。ちょうど漢字の書き順が分からなくなると、考えれば考えるほど正解から遠ざかるのと似ている。これが私の場合ごく身近にあっている人についても起きることがあるのだ。
すると逆に、いったんは忘れる、ということをしない限り思い出せないという感覚になるし、実際その通りなのだろう。一度ソロバンを御破算にする、ゲームのリセットボタンを押す、という感じだろう。つまり記憶の揺らぎをいったん止める必要があるのだ。
興味深いのは、ある時に思い出せていた人の名前が、ほんの数分後には急に思い出せないという事がおきるということである。あるいは逆のことも起きる。たとえばテレビに出てきたある男優の名前が思い出せない。しばらく頑張るが無駄だと思い諦めてしまう。ところが1,2時間してふと名前が出てくる。その時はあまり努力をせず、別のことを考えている最中だったりする。このように明らかに想起には揺らぎが存在するようだ。と言ってももちろんしっかり記憶しているものではなく、うろ覚えのものに対してこれは当てはまることが多い。
ちなみに私の場合抽象名詞の場合と大きく異なる。抽象名詞なら、思い出そうとしたらそのうち出てくるだろうという予感がすることが多いし、大抵はそうなる。英単語なども結構こうやって出てくる。そしてこれは私が思春期以降持つ傾向なので、加齢の影響とはあまり関係がなさそうに感じる。(私がこのために受験のたびにいかに苦労したかは、聞くも涙、である。)
このような現象を考えるに、そもそも記憶の揺らぎを生み出すのは、シナプス結合の持つ揺らぎの性質であるということが推察される。記憶に直接関係するシナプス結合は、通常はとても流動的で揺らぎにみちているのだろう。