2019年9月22日日曜日

発達障害とパーソナリティ障害の微妙な関係 3

こうなると患者さんは、「腹が立つのは、正しいと思っていることを周りの人が分かってくれないんです。」ということになる。もしパーソナリティの問題だけであるなら、ある程度は自分の言動の偏りを自覚する能力は有しているはずだろう。「あの時はつい〇〇してしまったが、××すべきだった」という反省が起きるはずだ。ところが発達障害の影響があり、自分の偏りを認識できないのであれば、「良かれと思ってやったのになぜ…」の思いは続くであろう。するとこれは、少なくともこの部分に関しては、ASD, BA の問題を反映していることが推察されるのだ。
ここで誤解してはならないのは、当事者はそれでも何かがうまく行っていないことは自覚しており、それを直したいという希望を持っているということだ。すると人から発達障害と言われることは相当なショックになりうる。それは発達障害は治しようがない、という理解が様々なところから吹き込まれているからだ。(まあ、それが間違っているというわけではないが 、ある程度は克服可能な場合もある ・・・・) だからもっと詳しく調べ直して欲しいと願う。しかし発達障害はいわばアナログ診断、ないしはスペクトラム診断なのである。そしてもしクライエントさんが白か黒かをはっきりさせないと気が済まない、と主張するならば、これも「発達的」な訴え、ということになる。
最後に一点論じ忘れたことがある。それは発達障害の深刻度は、その障害の重さそのものが関係しているのか、それともどの程代償や防衛が関係しているのか、という議論であり、ひょっとすると発達障害には後者の要素が大きいのではないかという点である。たとえ話として、膝痛を取り上げよう。膝関節の軟骨がすり減って痛みを感じている人たちを考えよう。一方は軟骨のすり減り度合いにより痛みが増す人たちがいる。しかし他方では強い筋肉(大腿四頭筋やハムストリングによりひざに負担がかからずに済んでいる場合には、かなり軟骨がすり減っているにもかかわらず痛みをあまり感じず、軽症扱いされる人たちがいる。つまり軟骨のすり減り度合いという本来の障害の度合いと、症状としての痛みの強さの度合いが一致しないということが起きるのだ。
発達障害の場合も、本来の障害である「他人の感情状態が分からない」という本来の問題がかなり深刻でも、「他人の感情状態を認知的に推測する」という前頭葉による代償機能がそれなりに発達していればその人の人生は存外うまくいくかもしれない。ところがこの代償機能は表面的な社会的付き合いのレベルでは効果を発揮しても、大事な対人関係においては追いつかず、親友や恋人に去られてしまうということが起きるとしたら、やはりそこで問題となっているのは根底にある「他人の感情状態を直感的に感じ取れない」 ということになる。とすると次のような可能性が生じてくる。「Bは、ASD の問題が決して軽い、というわけではなく、たまたま代償機能により表面化していない状態である。」すると代償や防衛が破綻したために露呈する問題はことごとくASD 関連である、という可能性が生じては来ないだろうか。