主要な交代人格たちとの出会い-患者さんの世界で何が起きているのか
治療が開始され、治療関係が形成され始めた段階で、一体患者さんの世界で何が起きているのかを患者さんと一緒に把握する必要があります。交代人格にはどのような主要メンバーがいて、いつどのような状況で活動し、またどのようにして人格の交代が起きているのか。どの人格のどのような振る舞いに問題が生じているのか。これは従来言われていた、存在する交代人格たちを詳細に調べていく「マッピング」とは異なります。そのような作業が必要になる場合もあるかもしれませんが、まずは患者さんの中に存在する主要メンバーの動きを、その影響の大きさの順に大まかに知るというプロセスが優先されるのです。
たとえばAさん(主人格)が職場での仕事を担当し、比較的安定した生活を送っていたとします。ところが職場での上司とのトラブルから、Bさんという子供人格が時々出るようになってしまったとします。更にはAさんの中は過去に自殺未遂や自傷行為を引き起こす人格Cが存在しますが、しばらくは姿を見せずにいる、という状況を考えましょう。ここではA,B,Cという主要人格が登場していることになります。もちろんこれ以外にも時々登場する冷静な人格D、更に幼少な人格Eが存在することが明らかになるかもしれないが、今起きている問題にかかわっている人は主として、A,B,Cさんということになります。そこで治療者としては、これらの人々とそれぞれ話す必要があります。
具体的には、Aさんが一日のどのような時間に出ていて、それは起きている時間の何パーセント程度を占めるのか、Bさんが出るのはどのような頻度で、誰の前で主として出るのか、またCさんが出現して行動を起こすことで、どのようなことが過去に起きたことがあるか、そしてCさんを刺激する要素としてどのようなことがあるのか、またCさんが出現した時にはどのように対処してきたか、などを知ります。そしてもしA、B、Cさんの間でそれらの情報をしっかり共有できていることを確認するのです。
特に重要なのはCさんのような激しい行動化を繰り返す人格との関係性を治療者がうまく作ることです。彼(女)とうまく接触できれば、治療の進展につながりやすくなります。特定の人格が度々自分自身を傷つけ他者への攻撃をやめない場合は、それが結果的に主人格の自覚できない情動を排出するための行動化である可能性もあります。そしてその事情を直接Cさんから聞くことには大きな意味があります。
ただしCさんと出会うことは簡単にはできないでしょうし、それを急ぐことは場合によっては治療的といえない可能性もあります。なぜなら激しい人格は過去に深刻なトラウマを抱えている場合が多く、そのような人格を扱うことは、その深刻な記憶そのものを甦らせることにつながるからです。本書ではそのような深い闇を抱え、激しい感情と破壊性を秘めた人格を「黒幕人格」と呼んで、後の章でくわしく扱っていきます。
2-2.トラウマに向かい合う
過去にトラウマを体験している患者との治療は、時には困難を有します。性被害にあった女性患者に男性恐怖の症状が現れ、暴力を受けた患者が体の痛みを覚えるなど、当時の体験に直接関連する症状の訴えは少なくありません。治療中のセッションでフラッシュバックが起こり、パニックに陥ることもあります。その多くは恐怖感を伴う体験であり、怒り・悲しみ・嫌悪など多様な負の感情が賦活されるのです。加害者が親兄弟や恋人など親密な対象であれば、その傷つき体験は一層複雑なものとなります。相手に対する愛着や思慕の感覚と相反する恐怖や怒りの感情は両価的であり、ひとつの心に収まりきらず、重篤な解離の結果として心理的な解体や断片化が生じます。フェレンツィは近親姦の事例において、出来事の後の加害者の矛盾した振る舞いが患者を一層混乱させ、加害者の罪悪感の取り入れが起きると解説しています。加害者側の強い否認により、出来事の責任が自分自身にあるように患者さんは錯覚しやすくなります。深刻な被害の体験は、こうして他者および自分自身に対する基本的な信頼感を破壊します。
すでに述べたように、DIDの症状に向き合い、様々な人格との接触を試みることは、事実上その患者さんの持つ過去のトラウマの記憶を扱うことになります。なぜならそれぞれの人格は、独自の過去を背負っていて、あるいは体で表しているからです。遊びを求めて出てくる子供の人格も、甘えたい、遊びたい、でもそれが表現できないという幼少時の体験を担っているといえます。また泣き叫び、恐怖におびえる子供の人格は、まさに幼少時の何らかのトラウマを再演し続けているかのようです。