2018年10月12日金曜日

パーソナリティ障害はまだ・・・12

Neurolaw 神経法学??」の話

  今日の話題は、Dutton さんの本を読んでであったターム「Neurolaw」である。これは敢えて日本語にすると「神経法学」ということになるだろうか。ためしにググってみるが、やはり日本語らしきものは出てこない。しかし英語版 Wikipedia にはかなり詳しい解説がある。当面の課題は、脳腫瘍や頭部外傷を持つ人の場合、どの程度その人は罪を犯しても減刑となるべきか。いわゆる 「Insanity defense」 の問題である。これは実はとてつもない複雑な問題を含む。犯罪者の脳の障害が生まれつきのものである場合、罪を問われるべきか。誰がその人の脳の画像を見る権利があるのか。誰かが殺人を犯した場合、加害者の弁護人が脳の MRI 画像を撮ることを要求したとしたら、そして明らかな異常が見つかったら、裁判官はそれを減刑の理由とすることが出来るか。
   さらにはもっと難しい問題も起きる。サイコパスの脳はかなり特別であることを Dutton さんの本を読んで学習してきたが、そうなると彼らはむしろ犠牲者であり、罪を問われるよりはむしろ同情や「治療」の対象になるべきではないか? もともと善悪の区別もつかないような人に対して私たちは心神喪失として罪を問わない。殺人が純粋な妄想に駆られたものである場合、私たちは通常の処罰をその人に対しては行わないが、サイコパスの人とどう違うのだろうか? この問題に皆さんは答えられるだろうか?
Neurolaw 神経法学」という訳でとりあえず行こう)は1991年にSherrod Taylor という人が作ったらしい。もともとこの分野の発展には、ある一つの重要な発見があった。そしてそれは脳画像技術の発達に関連していた。要するに前頭前野(皆さんのおでこの内側の部分だ)の機能が、人の衝動性を抑制する重要な役割を持っているということだ。この部分が発達することで、人は自らへの報酬を先送りすることが出来る。例えば今日一万円もらうか、一週間後に一万一千円をもらうかのどちらかを選べるとすると、後者を選ぶことが出来るようになる。(もちろんこれには異論があるだろう。喉が渇いている人にとっての一缶のビールと、一週間後の二缶のビールで、前者を選ぶ人は脳機能が劣っている、とは言えないだろう。) ともかくも脳の機能と衝動的な犯罪がこれほど関連があることが分かった以上、司法に加害者の脳の機能というファクターが持ち込まれるのは時間の問題だったというわけだ。それはそうだろう。人の心が心臓に宿っていたと信じていたころの人間にとっては、衝動的な罪を犯した人は「悪い人、罰すべし」という判断しか下せなかったわけである。ところでこの項目を読んでいて興味深かったのが、現在のウソ発見器の使用のされ方である。最近では嘘をついた時に脳のどの部分が興奮するか、ということを調べる方法がとられている。しかしこれも万能ではないという。例えば人は実際にはなかったこともあったと信じ込むという現象がある。いわゆる「偽りの記憶 false memory」という現象だ。これはウソ発見器は役に立たない。しかしこんなことも書いてある。
「背外側前頭前野は知らないことを知っているふりをしている時に興奮する。」
「右海馬前部はウソをついている時は興奮しないが、誤認している時は興奮する。」
私が一番知りたいのは、サイコパスはウソ発見器に対してどのような反応をするか、だが、またあした調べよう。