2018年6月16日土曜日

精神分析新時代 推敲の推敲 25


第17章      分析家として認知療法と対話する
初出:認知療法との対話 現代のエスプリ特集(妙木浩之編)[自我心理学の現在]に所収  
本章では、精神分析から見た認知療法について論じる。はたして両者は全く異なるものなのか? 歩み寄りは可能なのか? このテーマは私がかつて「治療的柔構造」(岩崎学術出版社、2008年)という著書でいくつかの章にわたって問うた問題であるが、ここでその後10年を経た私の考えをまとめたい。

 「面談」はすべてを含みこんでいる

私は精神分析家であり、認知療法を専門とはしていないが、分析的な精神療法の過程で、あるいは精神科における「面談」の中で、患者と認知療法的な関わりを持っていると感じることがある。特に患者の日常的な心の動きを一コマ一コマ患者とともに追うことはそのようなプロセスであると認識している。
そこでまず、あまり問われていないが重要な問題について論じたい。精神科医が行う「面談」とはいったいなんだろうか? 医者が患者とあいさつを交わし「最近どうですか?」などと問う。患者はその時頭に浮かんだことや、あらかじめ用意しきてきたテーマについて話す。場合によってはそれが5分だったり、10分だったりする。これほど毎回行われる「面談」の行い方の教科書などあまり聞かないが、それはなぜだろうか?
この種の面談はもちろん精神科医の専売特許ではない。たとえば心理士との面接でも、特に構造を定めていないセッションでは、近況報告程度で終わってしまう場合も少なくないだろう。これも一種の「面談」の部類に属するといえる。
 「面談」の特徴は、基本的には無構造なことだろう。あるいは「本題」に入る前の、治療とはカウントされない雑談のような段階でこれが現れるかもしれない。しかしこれは単なる雑談とも違う。二人の人間が再会する最初のプロセスという意味では非常に重要である。相手の表情を見、感情を読みあう。そして精神的、身体的な状況を言葉で表現ないし把握しようと試みる・・・。ここには認知的なプロセスも、それ以外の様々な交流も生じている可能性がある。「面談」を精神医学や精神分析の教科書に著せないのは、そこで起きることがあまりにも多様で重層的だからだろう。
私は数多くの「~療法」の素地は、基本的には「面談」の中に見つけられるものと考える。人間はそんな特別な療法などいくつも発見できないものだ。だから私は認知療法にしても精神分析にしても、互いにまったく独立した独特な治療法だとは考えない。