2018年2月16日金曜日

精神分析新時代 推敲 18


さてMさんの分析家である私は、

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 さて精神分析の世界における最近の逆転移の考え方は、フロイトの時代の「逆転移は克服せよ」という考え方とはずいぶん変わって来ている。フロイトは「逆転移は持つだけでも良くない、なぜならそれはその人が教育分析や自己分析により無意識を克服していないからだ」と考えたわけだ。しかしその後の分析家たちは、むしろ逆転移は不可避的なものであり、それに気が付き、それを治療的に用いるという姿勢こそが大事だと強調するようになった。すなわち治療者の個人的な感情は決して回避することができず、むしろそれを意識して、対処できることが大事であるという考え方である。治療者の個人的な感情を敏感に反応する心の針に例えると、むしろ心の針が振れる状態でいるのは大切なのであり、ただそれが振り切れたりせず、早く中心付近に戻ること、そしてその心の針の触れをどこかでしっかり見守っている目を持つということが大切なのである。そしてその意味では自分の心に対する高い感性と、それを見守る観察自我という二重意識の状態を持つことと考えられるかもしれない。
さてこのような逆転移に関する考え方を森田療法的に捉えるならばどうなるのだろうか?すでに述べたように、私たちは治療者という立場にある以上、自分の治療により患者によくなってほしいと願う。それは森田療法でも精神分析療法でも、CBTでも同じであろう。患者が良くなることで感謝され、治療者としてのプライドも保たれる。患者の症状の改善を願うという私たちの願望は治療者としては大切な部分なのだ。
 しかしこれは同時に治療において私たちは常にとらわれを体験しているということでもある。なぜなら症状を改善したいという願望の一部は、まさに患者が陥っているとらわれが投影されたものである。そしてそこにさらに、治療者のプライドというもう一つのとらわれが付加されているのだ。
 しかし逆転移についての考えが教えてくれるのは、私たちは患者によくなってもらいたいというとらわれを捨てようとするのではなく、そのとらわれを見つめている部分を持っていなくてはならないことなのであろう。その見つめている部分は、患者はよくならないかもしれない、自分はこの患者を助けることはできないかもしれないという事実を受容している部分である。これが森田が言った「症状と戦うな」ということの真意だと思うが、それは「症状と戦わないことが症状と戦うことだよ」という禅問答にも似た狡知ではなく、先ほども述べた二重意識、すなわちとらわれを持つ部分と、そのとらわれにより一瞬でも苦しんでいる自分を、醒めてた目で見つめている部分ということではないだろうか。
 ここで少しうがった言い方をするならば、森田の教えは「とらわれを捨てよ」、ではなく「とらわれに対するとらわれを捨てよ」だったのだと考えることで、森田療法と精神分析の逆転移の概念はつながるのではないかと思う。とらわれにとらわれる、とは分析的には、逆転移を捨てよ、ということだが、それは治療者が人間として生きている限りは無理な注文なのだ。そしてこの自分のあり方に対して同時に別の視線を持つということが、後に述べる実存的な二重意識ということにつながるのである。

2.生への捉われと死への備え
とらわれや受容の問題を考える時、やはり最終的に残ることは死の問題である。とらわれの究極は、やはり生へのとらわれや死の回避に関するものだろう。治療により症状は完全には消えない、という受け入れをさらに突き詰めていくと、最終的にはその症状を持っている自分という存在が消えてしまうということの受け入れ、つまりは死の受け入れというテーマにつながっていくであろう。そしてそれは森田が常に考えていたことでもある。私は一つの精神療法が患者を支えるためには、そこにはやはりしっかりとした死生学があってしかるべきだと思う。
森田が死の恐怖について広く論じていることはいまさら私が言う必要はない。死の恐怖をいかに克服するかというテーマが森田療法の始まりにあった重要なテーマだったのだ。森田療法を編み出すことにより、森田先生は死を克服できたのであろうか? 
この点に関して少し詳しく見てみよう。ある論文から引用する。
「森田正馬は,死をひかえた自分自身の赤裸々な姿を,生身の教材として患者や弟子たちに見せることによって,今日言うところのデス・エジュケーションをおこなった人である。彼は1938年に肺結核で世を去ったが,死期が近づくと,死の恐怖に苛まれ「死にたくない,死にたくない」と言ってさめざめと泣いた。そして病床に付き添った弟子たちに「死ぬのはこわい。だから私はこわがったり,泣いたりしながら死んでいく。名僧のようには死なない」と言った。いまわの際には弟子たちに「凡人の死をよく見ておきなさい」と言って「心細い」と泣きながら逝ったと伝えられている。
弟子のひとり長谷川は,次のような追悼の文をしるしている。「先生は命旦夕に迫られることを知られつつも,尚生きんとする努力に燃え,苦るしい息づかひで僕は必死ぢゃ,一生懸命ぢゃ,駄目と見て治療してくれるな』と悲痛な叫びを発せられた。『平素から如何に生に執着してひざまづくか,僕の臨終を見て貰いたい』と仰せられる先生であった」。虚偽,虚飾なく,生の欲望と死の恐怖を,最後まで実証しつつ死んでいったのである。(岡本重慶(1))

精神分析の分野では、米国の分析家 Irwin Hoffman(2)が、他に類を見ないほどにこの死生観の問題について透徹した議論を展開している。彼の死生学はその著書 Ritual and Spontaneity(儀式と自発性) の第2章で主として論じられている。Hoffman はこの章のはじめに、フロイトが死について論じた個所について、その論理的な矛盾点を指摘している。フロイトは1915年の「戦争と死に関する時評」(3)で「無意識は不死を信じている」と述べているのだ。なぜなら死は決して人が想像できるものではないからだというのが理由である。しかし「同時に死すべき運命は人の自己愛にとって最大の傷つきともなる」という主張も行なっている (ナルシシズム入門(4))。人が想像することが出来ない死を、しかし自己愛に対する最大の傷つきと考えるのはなぜか? ここがフロイトの議論の中で曖昧な点である、と Hoffman は指摘しる。そして結局彼が主張するのは、フロイトの主張の逆こそが真なのであり、無意識に追いやられるのは、死すべき運命の自覚であるというのだ。つまり人は「自分はいずれ死ぬのだ」という考えこそを抑圧しながら生きているというわけだ。こちらのほうが常識的に考えても納得のいくものだと私も考えますが、精神分析の世界では死に関するフロイトの矛盾した主張が延々と繰り返され、場合によっては死への不安はその他の無意識的な概念を覆い隠していると主張されることさえあるのだ。
 さてそこから展開される Hoffman 自身の死生学は、Sartre Merleanu-Ponti などの実存哲学を引きつつ、かなりの深まりを見せている。簡単に言えば抽象的な思考というのは、すでに死の要素をはらんでいるというのだ。抽象概念は無限という概念を前提とし、それは同時に死の意味を理解することでもあるというのがその理由だが、ここでは詳述は避ける。