2018年2月9日金曜日

精神分析新時代 推敲 11

第10章 トラウマと精神分析 (1)
 
はじめに

 精神分析はかつては米国を中心にその効果を期待され、広く臨床現場に応用されていたが、現在は全世界的に退潮傾向にあるといわれる。自らの心の無意識部分を探究するために、週に頻回の、それも何年にもわたる精神分析プロセスを経ることを、最近では敬遠する人が多い。しかしわが国においては、精神分析における治療理念はいまだに期待を寄せられ、また理想化の対象になる場合もある。筆者は精神分析学会とともに日本トラウマティック・ストレス学会にも属しているが、トラウマを治療する人々からも精神分析に対する「期待」が寄せられるのを感じている。それは以下のように言い表すことが出来るだろう(岡野、2016年、トラウマティック・ストレス学会)。

  • 精神分析はその他の心理療法に比べてもより深層にアプローチし、洞察を促すものである。
  • トラウマに関連した症状が扱われた後に本格的に必要となるプロセスである。
  • 精神分析のトレーニングを経た治療者が、分析的な治療を行う事が出来る。
しかしこれらの期待は現在の精神分析に耐えうるものなのだろうか? それを本章では考察したい。

  伝統的な精神分析とトラウマ理論

 ここで精神分析家としての筆者は、多少なりとも自戒の気持ちを持って次の点を明らかにしなくてはならない。それはフロイトが創始した伝統的な精神分析は。残念ながら「トラウマ仕様」ではなかった、ということである。すなわちトラウマを経験した患者に対して治療を行う論理的な素地を十分に有していてなかったということだ。それを説明するうえで、精神分析の歴史を簡単に振り返る必要がある。
 フロイトは1897年に「誘惑仮説」を撤回したことから精神分析が成立したという経緯がある。その年の9月にフリースに向けて送った書簡(マッソン編、2001年)に表された彼の心がわりは、精神分析の成立に大きく寄与していたと言われている。単純なトラウマ理論ではなく、人間のファンタジーや欲動といった精神内界に分け入ることに意義を見出したことが、フロイトの偉大なところで、それによって事実上精神分析の理論が成立した、ということである。この経緯もあり、伝統的な精神分析理論においては、トラウマという言葉や概念は、ある種の禁句的なニュワンスを伴わざるを得なくなった。
 フロイト、S(2001)フロイト フリースへの手紙 1887-1904.J.M.マッソン編 河田晃訳 誠信書房 2001年
 その後のフロイトは、1932年のフェレンチによる性的外傷を重視する論文に対しては極めて冷淡であった。フェレンチの論文の内容はフロイトが1897年以前に行っていた主張を繰り返した形だけであるにもかかわらず、フロイトが彼の論文を黙殺したことは驚くべきことである。彼はまた同様に同時代人のジャネのトラウマ理論や解離の概念を軽視した。このようにして精神分析理論トラウマには、フロイトの時代に一定の溝が作られてしまったのである。
    

J.M.マッソン 編 河田 晃 訳 フロイト フリースへの手紙 1887-1904 誠信書房2001年
Masson, JM The Assault on Truth: Freud's Suppression of the Seduction Theory (Farrar, Straus and Giroux、1984

 精神分析の立場からトラウマ理論に対して一種の失望の気持ちを持っていることはこの様な経緯を考えればある程度仕方のないことなのかもしれない。たとえば精神分析家の藤山氏は、以下のように書く。(以下略)