2017年9月17日日曜日

第7.5章 対人恐怖の精神分析 ④

対人恐怖における謙虚さや謙譲の美徳という意義について

最後に対人恐怖における謙虚さや謙譲の美徳という側面についても触れておきたい。これまで述べたように、対人恐怖はDSM-III1980年)において社交恐怖という形で欧米の精神医学界において市民権を得る形となった。それ以来社交恐怖についての理解と治療を扱った出版物が英語圏でも非常に多くなっている。そこには一種のブームが生じているといっていいが、それらは一様に恥の感情や社交恐怖をなくすべきもの、克服すべきもの、という論調におおむね終始している。それは最近の米国に見られる「恥ずかしがりを克服しよう」という類のタイトルを冠した数多くの著作を目にしてつくづく感じることだ。
もちろんそのような風潮はある意味ではやむをえないことなのかもしれない。欧米社会において社交嫌いで引っ込み思案であることは、社会生活において極めて不利であることを意味する。それと同様に欧米人に控えめさ、謙虚さの意味を説くことにも限界がある。他方わが国には内沼の業績(内沼、1977)に見られるような、恥の持つ倫理的な側面や、それがいわば「滅びの美学」とでもいうべき謙譲の精神につながるとみる立場が存在する。そして対人恐怖症状を持つ人が同時に、他人を優先し、譲歩する傾向を持つことにも注目すべきであろう。
私は対人恐怖の根幹にある力動は、この人に譲りたいという気持ちと裏腹の自分を主張したい願望との葛藤、内沼(1977)が表現するところの 没我性と我執性の葛藤にあると思う。それは既に述べた図式(図1)における理想自己と恥ずべき自己の葛藤と結局は同義であることに気づかれよう。この没我性と我執性の葛藤という問題を全体として扱ってこそ力動的なアプローチと言える。
対人恐怖症状の深刻さはこの両自己像の隔たりに反映されていると説明したが、その隔たりが継続しているひとつの理由は、当人が特に恥ずべき自己の姿を極端に脱価値化するために直視できないことにある。彼らは手が震えたり言いよどんだり、赤面している自分は、それを見たら誰もが軽蔑したりあまりの悲惨さに言葉を失ったりするような姿であると感じている。それらの人々に欠けているのは、おそらく人前で緊張をしたり、パフォーマンスを前にしてしり込みをしたりするのは普通の人にもある程度はおきることであり、その姿を他人に見せたからといって二度と人前に出られなくなったり社会的な生命が奪われたりするわけではないということである。そしてそればかりではなく人前での緊張や引っ込み思案は、他人に自己主張や発言のチャンスを与えるという積極的な意味も担っているということを彼らが知ることは、両自己像の懸隔を近づける意味を持つと考える。
治療関係において恥ずべき自分に対する肯定的なまなざしを向けることを促進した例として、事例Bを掲げたので参照されたい。

事例 A
 (略)

事例 B
(略) 
Bさんと話していて強く感じたのは、アメリカという文化のせいか、彼の控えめな性格が誰からも何らポジティブな評価を与えられていないらしいということだった。彼程度の対人緊張は日本人のあいだでは珍しくないし、だからといってすぐにネガティブな評価を与えられるわけではない。「Bさんが日本の社会に生まれたら、そんなに苦労しなかっただろうに」などと口に出すことはなかったものの、私はしばしばそんなことを考えながら彼との対話を続けた。そしてそのような私の考えは間接的にはBさんに伝えられる結果となっていたと考えられる。
私がBさんの内面を聞き続けて思ったのは、おそらくどのような対人恐怖傾向を持った人にも、健全な自己顕示の欲求は当然ある、という当たり前のことだ。Bさんは治療関係が出来始めたころにこんな話をした。彼は小さいころから目立たず、特に運動も勉強も出来ない子供だったという。そして両親から十分な関心を払ってもらえたということが一度もなかった。そんな彼が小学生のころ、盲腸炎を起こして病院に運ばれるということがあったという。痛みに苦しんでふと見ると、ベッドの周りを医師や看護婦が囲んで自分を見下ろしていた。そのとき痛みに耐えながらも言いようのない心地よさを感じたという。自分の存在を皆が見守っているという感じ。でもその感覚を得るために、彼は普通でいることでは十分ではなく、急病になる必要があったのである。


今だったらどうだろうか?私はBさんともう少しざっくばらんに色々なことが話せたと思う。それで彼の社交恐怖がどれほど良くなったかはわからない。しかし彼に必要以上に居心地の悪さを体験させることは控えることが出来たのではないかと思う。