複雑系における揺らぎの概念が人の心を考える上でのヒントとなるのは、精神的な安定性についての理解である。まずは分かりやすくするために、経済における例をあげよう。資本金の大きな会社Aと、小さな会社Bを考える。大雑把に考えれば、Aの会社の業績は、Bより安定していることが多いだろう。会社の資産価値は、たとえば四半期ごとにどのように推移するだろうか? 会社Aがたとえば5%なら、会社Bは20パーセントかもしれない。細かい数値は別として一般には資産価値の変化の割合の推移は大きな会社ほど小さいことは経済界の常識である。この資産価値の推移を「揺らぎ」と見なすならば、Aの揺らぎは、Bに比べて小さいということになる。これはどうしてだろう? Aはおそらくたくさんの商品を扱い、たくさんの部門を有し、多くの社員を抱えている。Bはその逆である。Bの場合は数少ない商品の売り上げが大きく会社の資産価値を左右する。あるヒット作が出ればあっという間に会社は莫大な利益を得るが、その売り上げが急に落ちてしまえば、在庫処理や、いったん増やした人員の削減その他で大きなマイナスを生むだろう。あるいは有能な社員が一人抜けてしまうと、それだけで売り上げが大幅に落ちてしまうかもしれない。とにかく何かの偶発時で大変な揺らぎが起きる。それに比べてAの場合にはそのような揺らぎを、会社全体が吸収してくれる。一つの商品の売れ行きが落ちても、他の商品はそれほどでもなかったり、別の商品がヒットしたり、ということがあり、全体の揺らぎはかなり小さくなる。
この話は、私は「経済・情報・生命の臨界揺らぎ」(高安秀樹ほか、ダイヤモンド社)から取っているが、たとえば大きな船と小さな船を考えてもいい。全く同じことだ。小さな船ほど波に翻弄され、大きく「揺らぐ」だろう。しかし豪華客船なら簡単には翻弄されないだろう。そう、個別の揺らぎを全体が吸収してしまうのだ。
さて人の精神的な動きを考える。会社の資産価値という数値に相当するものとして何が考えられるかは分からない。しかしちょっとしたことで動揺する心と容易なことでブレない心とがある。これは人を観察していると確かにある。周りの人を巻き込み、またなるべく刺激しないように警戒しなくてはならない人。この人は大きな揺らぎを持つ人だ。それに比べてゆったりして、大きな感情の動きを見せず、いつも落ち着いている人。この違いはどこからくるのだろう?
先日ネットで、最近キレる中高年が急増すると書いてあった。某大学の社会心理学の教授によれば「加齢によるパーソナリティーの変化は大きく分けて、思慮深く優しくなる『円熟化』と、感情の抑制が利かなくなる『先鋭化』の2つがある。とすると円熟型は揺らぎが小さくなるのに比べて、先鋭化は逆に大きくなる。
揺らぎに深く関係しているのが前頭葉であることはほぼ間違いないであろう。扁桃体や青斑核の暴走を抑えるのは前頭前野の働きである。これが一種のダンパーの役割を果たしている。揺らぎを吸収するのだ。前頭前野がどうして、どのように揺らぎを吸収するかなどはまったくわかっていないといっていい。これからの研究が待たれるのだ。