2017年4月5日水曜日

どのように精神分析を・・・ ①

とんでもない原則

私はそれからとんでもない原則に直面することになりました。それはあらゆる理論は、それを提唱する人の自己愛を満たすような形でしか成立し得ないということです。それは精神分析理論についてもいえます。これは本当にとんでもない話なのですが、これを知ることで私もようやく物事に納得が行ったと思えるようになりました。私は精神分析的な原則の一部は必ずしも実情に合わなくても、維持されることに疑問を覚えていましたが、そこにはある非常に重要な力が働いていることを理解しました。それは精神分析という学問を守り、繁栄させるということです。そしてその力が働く限り、おそらく患者のための治療論ということは成立しないということです。私はこれにより精神分析理論そのものを価値下げするつもりはありません。それよりもそのようなことが生じることを知ることに興味があります。
フロイトのことを考えて見ましょう。フロイトはあれほど革新的な理論を打ち出しましたが、同時に彼は非常に野心的で、自分の理論により説得力を持たせるためには患者の病歴を少し「編集」するところがありました。でもそのことはフロイトの功績自身を否定することにはなりませんでした。
もちろん学問に身をささげる人は、そこにあるある種の真実を追究することに喜びを覚えていることは確かです。しかしそれは同時に本人の自己愛とのせめぎ合いになります。
一つの例を挙げてみましょう。ブランクスクリーンとしての分析家という考え方です。分析家は自ら分析を受け、自分自身を見つめることで、より客観的な見かたができるようになり、それだけ患者に対しても逆転移を持たずに中立性を保つことが出来るという考え方です。そしてその中立性には匿名性が伴い、治療者は自らを示すことなく、いわば黒子に徹して患者の病理を浮き彫りにするというものです。
しかしこの理論には裏の面があります。それはこの理論に従う限り、治療者はその問題を明らかにする必要がありません。ブランクスクリーンの理論は、治療者の側のバイアスを問う立場からはどんどん外れることになります。