2015年10月12日月曜日

●●通信 推敲した

「脳好き、解離好き」の療法家の話

私は時々、精神分析や臨床心理の集まりで、臨床の話をしている時に「私は脳のことをいつも考えています」と言うことがある。すると聞いている人たちはたいていは困惑の表情を示す。精神分析学会などで言おうものなら、顰蹙を買ってしまうだろう。そう、脳の話はいつも心理の世界では唐突で、場違いで頓珍漢なことを言っているという印象を与えてしまうのである。
 ところが最近パーソンセンタード・アプローチの本を何冊か読む機会があり、文教大学教授の岡村達也先生の書いたいくつかの論文に出会った。何と彼の論文でも、ロジャースの話の中に「脳」が出てくるのである。私は嬉しくなってしまった。だからここで書いているのである。そんな折今度は複雑系の理論を扱った論文の査読をする機会があった。それをきっかけに複雑系の問題を再び考えるようになっている。(念のため申し添えておくが、私の中では脳イコール神経ネットワークイコール複雑系、ということになっている。)
私の脳に対する関心は広いが、特に興味を惹く二つの現象を挙げたい。ひとつは報酬系である。人は自分の行動を決めるとき、常にこの報酬系に常に問いかけている。「今日の晩御飯は何を食べよう?」と考えるとき、いろいろなチョイスを報酬系に投げかける。報酬系が「それだね!」と答えてくれると、それを選ぶのだ。そこにはっきりした理由などない。理由は必ず後からつけられるのだ。何かの嗜癖を有する人などは、完全にこの報酬系に心が乗っ取られている状態である。自分の意思とは無関係な、強烈や欲求や嫌悪に突き動かされる。パチンコ依存の人は給料日の数日前からお金を使い果たし、パチンコ屋に行くのを我慢し続ける。すると頭の中は常にパチンコのことで一杯になり、仕事や家族のことに頭が及ばない。給料日の前日は期待が高まると思いきや、逆に最悪の気分にもなるという。そして久しぶりに万札を握ってパチンコ屋に行き、打ち始める。時間はあっという間に過ぎていくのだが、楽しいというわけではなく、ロボットになったようで、むしろ「苦しい」と表現する。しかしこのパターンをやめられない。このような不可解な報酬系の振る舞いを抜きにしては、心の理論など無意味だとさえ思う。
報酬系についての実証研究は、私たちに思わぬ心の理解をもたらす。最近のある研究(本エッセイの性質上、文献の引用は避けるが)によると、報酬系は、ある試みの成功への期待に対しても、そのスリルを喜びとして感じているという。またニアミスによる失敗に対しても、かなりの快感を覚え、またその成否に自分の能動性が関与している際にも、その快感の度合いが高まるという。このことは、例えば宝くじを自分なりのジンクスに基づき買い求め、それがわずか一つの番号違い外れても興奮し、またそれが外れても、ワクワクしながら結果を待つこと自体が快感になってしまう。これにより人は宝くじの外れ券を買い続けて仕事も忘れてそれに没頭し、破産してしまうという道筋を運命づけられていることになる。最近ではパチンコやスロットやスマホによるゲームは、ニアミスによる外れの率を巧みに調節することで射幸心を最大限に引き出すようなプログラムが組まれている。何と恐ろしいことか・・・・。報酬系を知ることは、大げさに言えば人類を救うためにも必要なことなのである。
もうひとつは大脳皮質に生じる同期現象。複雑系である脳において生じる思考、行動、言動はきわめて複雑なニューロンのネットワークに生じる一種の統合が連続して可能となる現象である。パズルを解いていて「わかった!」と思った瞬間、道を歩いていて、突然ある旋律が浮かんだ瞬間、あるいは温かい寝床から意を決してエイヤッと起きだす瞬間、脳の神経ネットワークの一部に同期が見られる。しかしその同期が何に関して、いつ起きるかが実に予測不可能なところがある。発見や偉大な発想などは大体向こうから突然降ってくるものだ。人はそれにも根拠を「後づけ」することになる。言葉を得る、すなわち社会で生きることは、この後づけされた根拠の提示を常に必要としているからだ。
ちなみにこの同期現象は脳波として観察されることになるが、その振幅や周波数は十分に「繊細」でなくてはならない。あまりに高振幅、長波長の場合には単なるてんかん発作になってしまうからである。
報酬系、ニューロンの同期現象。脳の数多くの振る舞いの内の二つだけを取り上げたが、私たちの心の動きを規定しているこれらの現象は、ほとんどその素性がわかっていない。
私がこの夏に上梓した「解離新時代」のサブタイトルは「脳科学、愛着、精神分析との融合」であるが、我ながら大げさでハズカシイ。内容を読んで、「どこが脳科学か?」といわれることを心配する。確かに解離について脳科学的に解明しているには程遠い。しかし「脳科学」と謳うからといって、所詮複雑系としての脳についてわかっていることなどごくごく限られている。せいぜいいくつかのエビデンスのかけらを拾って、解離がどのように生じるかを推測し、想像することしかできない。ただ解離の諸現象は、脳がどのように働くかについての様々な想像を掻き立ててくれることだけは確かである。
心の問題に扱う時に、脳について、解離について考えるというのは、私にとっては結局は心の問題は複雑怪奇でとても正確なことはわからない、ということを言い聞かせるということと同じなのである。