昨日は慈恵医大第3病院で開かれた、多文化間精神医学会に参加。京王線で20分くらいかけて調布からバス。シンポジスととして、「異文化体験としての精神療法」を15分ほど話す。印象に残ったこと。西園昌久先生。声は少し弱弱しくおなりになったが、当意即妙の応答に今更ながら驚く。少しもお年を感じさせない。もう一つは江口重幸先生をライブで見たこと。いやはや大変なエネルギーを持った先生。江口ワールドを垣間見たことは、私にとっての一番の異文化体験であった。中村敬先生、お世話になりました。
2.不測の事態に備える
2.不測の事態に備える
初心の治療者がおそらくほとんど無防備であり、経験の未熟が自分にとってもクライエントにとっても不利に働いてしまうことがある。それはいわゆるイレギュラーな事態、通常は起きないような出来事が生じた場合である。冒頭に述べたように全くの未経験の段階では、「何がわからないかがわからない」状態であると言える。その場合とりあえずは実験的に、思いついた手段を手当たり取ってみる、という方針は悪くはないかもしれない。白紙の状態でコンピューターを与えられた子供が、思うがままにその世界を探索しているうちに、誰も教わらずにエキスパートになってしまうような例は実は非常に多い。しかし心理療法はそこにクライエントという生身の人間が関与し、援助を求めている。実験には倫理的な問題が付きまとうのだ。だからと言って対応に窮した治療者が正解を求めて、いきなり心理療法の教科書を開いたり、隣の面接室で仕事をしているスーパーバイザーにお伺いを立てたりするわけにもいかない。そのように考えると(少なくとも自分にとっては)不測の事態にどう対応していいかをあらかじめ考えていることは決して無駄なことではない。自動車教習が学科から始まるように、心理療法にもある種の座学が必要であるとすれば、どのような不測の事態が生じる可能性があり、どのような対応策があるのかを考えさせるような内容が望まれるであろう。
私自身の小さいころの体験である。小学校の2年生くらいだったのではないだろうか。恐らく親か教師かに次のように告げられていたらしい。「通学途中はものを食べてはいけません。」私はその頃一時間近くをかけて列車(電車ではなくディーゼル車や汽車であった)で通学し、自宅から最寄りの駅までは自転車で20分かけて通学していた。ざっと一時間半の通学時間である。
ある日列車の中で隣に座っていた女子高校生が、自分の食べているポッキー(商品名そのまま、でもいいや)を一本くれた。横でお腹がすいて物欲しそうな顔をした少年(私のことである)を不憫に思ったのかもしれない。さて私はそれを受け取ったものの、頭の中で「通学途中にものを食べてはいけません」という声が聞こえてきた。私は結局そのポッキーを手でつまんだまま、残りの一時間近くそのまま座っていた。その女子高校生にとっても気まずい体験だったかもしれない。自分が何気なく差し出したポッキーを食べることなく持ち続けた少年が、ずっと横に座ったままなのである。地元の駅について一人きりになった私は改めて自分が手に持っているポッキーを見つめた。「ボクはいったい何をしているんだろう?」そのあとそのポッキーをどうしたかは覚えていない。恐らくそのまま帰宅を続け、自宅が見えてきた段階で口に入れたのではないか。
この時に私に起きていたことは、通学途中に食べものをもらうという不測の事態を予想せず、どうしていいかがわからなかったのだ。家に帰って母親に「そんなこと気にせずに食べちゃえばいいのに。バカな子ね。」とでも言われたら「ふーん、そんなもんか」という気になり、私の初期のほんの小さな社会勉強の一つのステップは完了したことになる。
他愛のない例を聞かされたと思うかもしれないが、初心の治療者にも似たようなことは起きる。ある大学院生は、「先生と一緒に食べようと思いました」とケーキを持ち込んだクライエントさんに付き合って食べてしまった後(幸いなことに、彼女はそのケーキをクライエントさんの前で一時間持ったままでいるということはしなかった!)、深刻な顔をしてバイザーである私のもとに直行し、「大変なことをしてしまいました」と告白に現れた。「患者さんから物をもらってはいけません」という言葉が頭に残っていたからであろうか。ちなみにその院生さんは社会経験を積んだうえで心理士を目指して入学した人である。社会的な常識は十分ある人だ。そのような人にとってもやっていいこととタブーなことが決まっていると考えられる傾向にあるのが、この心理療法である。
他愛のない例を聞かされたと思うかもしれないが、初心の治療者にも似たようなことは起きる。ある大学院生は、「先生と一緒に食べようと思いました」とケーキを持ち込んだクライエントさんに付き合って食べてしまった後(幸いなことに、彼女はそのケーキをクライエントさんの前で一時間持ったままでいるということはしなかった!)、深刻な顔をしてバイザーである私のもとに直行し、「大変なことをしてしまいました」と告白に現れた。「患者さんから物をもらってはいけません」という言葉が頭に残っていたからであろうか。ちなみにその院生さんは社会経験を積んだうえで心理士を目指して入学した人である。社会的な常識は十分ある人だ。そのような人にとってもやっていいこととタブーなことが決まっていると考えられる傾向にあるのが、この心理療法である。
ちなみに私は不測の事態について考えるための本を研究会の仲間と編んだことがある。「女性心理療法家のためのQ&A」(星和書店、2007年) 「心理士が帰宅をしようとしたら、クライエントさんが門の所で待っていた。どうしたらいいか?」「目の前でクライエントさんが刺青を見せようとしてTシャツを脱ぎ捨てた。どうすべきか?」「クライエントに散歩に誘われた。どう対応をすべきか?」「隣の面接室から、大きな声が聞こえた。どうすべきか?」などなど。このような「不測の事態」の実例を通して、あらかじめシミュレーションをするための機会を提供している。あえて一つの答えを提供することなく、いくつかの考えの筋道を提供することに心を注いだ本である。
心理療法のプログラムがまだ座学である内に、このような本を読んだり、実際の臨床例をもとにディスカッションすることでイニシャルケースを持つ際の覚悟は結構出来上がるのではないか、と考える。